宗派と、私と、超宗派と、



 日蓮宗の宗立大学=立正大学3年生の夏、出家したばかりの私は仏教の事を知るために、興味・関心が向くままに仏教の本を片っ端から読み漁っていました。
私はお寺で生まれ育ったこともあり、出家する以前から仏教やお坊さんについて、とても興味がありました。この頃の私は鞄に文庫本が常時3冊は入っていて、電車の中でも本を開くほど仏教の知識を得ることに熱中していました。


ところが、本から知識を得れば得るほどに、私の中には、ある疑問が膨らんでゆきました。その疑問とは、私たちお坊さん(出家)と一般の人(在家)を分ける境目とは何だろうという疑問です。


悩んでいる私に「お坊さんは、近づき難い存在になってはいけない。在家の人と肩を組んで、お酒を飲むくらいが良いのさ」と言ってくれる人もいました。また一方で「お坊さんはやはり特別な存在であって欲しい。普通の人には真似できない事を出来るお坊さんがいて欲しい」という考えの人も居ました。

逆の立場から来る両方の意見を受けて、優柔不断な私はさらに悩み、結局身の振りを決める事が出来ず、僧侶になってからも一日中お寺に入り浸って過ごす、見方によっては引きこもりのような生活をしていました。


そんな私を見かねた師父の勧めるままに、私は日蓮宗の中の布教活動を専門にトレーニングする研修会=布教研修所に入所し、そこで寺社フェス「向源(こうげん)」という超宗派イベントの存在を知りました。私は初めて友人から向源の話を聞いたとき、「超宗派活動」というものに対して、どこか「浅さ、薄さ、軽さ」を感じていました。


上手く説明できないので絵の具に例えてみます。数百年に亘って継承、醸造されてきた各宗派の教えが濃い原色の絵の具だとすれば、超宗派活動は、その宗派の教えの上澄みだけ汲んで混ぜ合わせてパステルカラーの絵の具を作ったようなイメージでしょうか。

超宗派活動に対して悪い印象はなかったのですが、かといって自分から関りを持ちたいとは思えずにいました。
ところが、私が布教研修所を終了したちょうどその年の向源が日本橋で開催されており、会場の広さ、会期の長さもあってスタッフが足りず、先述の友人からのSOSもあって、私は向源にボランティア参加する事になりました。

そこで私はそれまでの「超宗派活動」に対する考えを改める事になったのです。


私の知る限り、この向源の中には、お坊さん(出家)と一般の人(在家)が、それぞれ持てる才覚を持ち寄って、力を合わせて一つの催しを作ってゆく姿がありました。
仏教・神道・日本文化のそれぞれの担い手が一同に会し、それぞれの今を発信し合う。そこに音楽や芸術やアレンジが加わる。
初めて仏教・神道・日本文化に触れる人が、お客さんが集まってくる。
私が読んできた沢山の本に書いてあった「僧俗が一体となって」のかたちが、そこにはあったのです。


翻って、自分のお寺や周囲の現状をみれば、自坊の宗隆寺に人が集まって賑やかかというと、そうではありません。

人口密集地である神奈川とはいえ、寺離れ現象は肌身に感じます。いいえ。むしろ新興住宅街の中の宗隆寺はそこだけぽっかりと穴が開いたように、がらんとした雰囲気です。

ですから私の次の課題は、「超宗派という別の場所で体験したことを、如何にして自分のお寺に持ち帰ってくるか」であると感じています。超宗派の場で行われている事を、「すっぱい葡萄」のように見ているのではなく、今度は自分の手が届く範囲でそれを取り入れてみる努力が必要なのです。

伝教大師や三蔵法師がそうだったように別の文化や別のフィールドに足を踏み入れ、身を投じて、そこから良い部分を真似することは、むしろ諸先師に意に違わない行いであると私は考えています。


今私は宗隆寺でお勤めする傍ら、現在は寺社フェス「向源」や雑誌「フリースタイルな僧侶たち」、他には、お坊さんが一般の方からの質問に答えるインターネット上のサービス「hasunoha」など宗派の枠を超えての活動もさせていただいています。


今でも鮮明に覚えている僧道林で大変にお世話になった先生のお言葉があります。「帰依という言葉は帰るという文字を使う。これはどれだけ離れても、そこに帰ってきます、という決意表明なのだよ」という言葉です。


これからも、自分の宗派の教えに帰依をする心を強く持つことはもちろんのこと、いつの日か自坊の宗隆寺が「僧俗が一体となる姿」を実現できるよう、お寺の外の別の分野のものを取り入れるハングリー精神は、これからも持ち続けていたいものです。

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