⓭瀬戸内寂聴さんのこと⑤新たな提案-呆気にとられた?
結局、瀬戸内さんの新潮社への長年の貢献に対して、70歳を超え晩年(その後99歳まで現役として精力的に書きまくるとは思ってもいなかったが)に入った瀬戸内さんにどのようにお返ししたら良いのか考えるのが、僕の役割ではないかと考えた。
功成り名を遂げた作家が、最後に望むのは「個人全集」の刊行である。
特に昭和の後半の時代、老舗の文芸出版社である新潮社から全集が出るというのは、作家の最期の勲章でもあった。
が、平成に入って、もう全集などは売れない時代になっていたし、出版社としても採算は取れず、まさに長年の自社に対する貢献に対して刊行する記念のような位置づけになっていたと思う。
新潮社が出した作家の個人全集というと、山本周五郎、川畑康成、三島由紀夫、井上靖、小林秀雄、安倍公房、遠藤周作、吉行淳之介、大江健三郎などの名前が思い浮かぶし、そこに瀬戸内寂聴全集が加わるかと言えば、なかなか難しいという状況だった。ましてや瀬戸内さんの大量な作品群を考えると、とても無理だろうと判断するしかなかった。
そこで僕が考えたのは、「全集」は無理でも、何らかの選集は可能なのではないかということだった。瀬戸内さんにはもちろんまだ「全集」はなかったが、ジャンル別選集として、「瀬戸内晴美傑作シリーズ」(全五巻)、「瀬戸内晴美長編選集」(全十三巻)、「瀬戸内晴美随筆選集」、「瀬戸内寂聴紀行文集」(全六巻)などが他社から出ていた。流石に流行作家だけあってさまざまな選集が刊行されていたが、手の付けられていないテーマとして僕が目を付けたのは「短編全集」である。短編だけでもどれだけ作品数があるのか把握していなかったが、瀬戸内さんの純文学的小説はその多くが、短編、中編的な分量の作品が多いので、作家の業績を残す記念碑としては十分に意味があるのではないかと思ったのだ。
文庫1000万部の実績と、瀬戸内文学の代表作を中心に編集する短編全集ということを売りにして、社内の根回しを始めた。僕は文芸素人ながらも、出版部では一応、次長というデスク管理職だったので、企画を直接提案ができる立場にあった。そこで出版担当役員や部長クラスの幹部を回って話したのだが、皆一様に、文庫1000万部に驚かれるのだ。
「そんなに売れていたのか!」
驚きついでに、短編全集ぐらいお返ししてもいいのでは、と畳み込む。もうじき講談社から源氏物語の現代訳の刊行が始まり、きっと大きな話題になるでしょうから、タイミングとしてもいいのではと、さらに詰め寄る。幹部たちも反対する理由が思い当たらないようだった。
もちろんそれで決まるわけではない。全何冊で刊行するのかも未定だし、試算もこれからだ。ただ瀬戸内さんに新潮社として短編全集を考えたいという企画の相談ができるということだ。
そして正月明けの1月10日、改めての寂庵訪問日を迎えた。
当日、訪れる前には、あの長い手紙、気恥ずかしいような告白的な内容でもあり、その内容から話が始まったらどう答えようか、などと気を揉んでアレコレ考えていたが、いつもの日本間の客間に通されて向き合った瀬戸内さんは、いきなり、まるでもう古い馴染みに接するように打ち解けた態度に変っていて、僕への「みやもとさん」という呼びかけも妙に(?)親しみのこもった言い方だった。
すっかりリラックスしてしまった。
まったく何もなかったかのように、古くからの担当編集者との会話のように話が弾み、手紙のことには一切触れず……。
それは、僕を受け入れたという瀬戸内さんの答えだった。
そこで僕はおもむろに短編全集の企画提案をした。
「本当は全集と言いたいところなのですが、今、新潮社として瀬戸内さんにお返しできることで意義のあるもの、と考えています。文学的代表作を網羅できる短編全集ということで、この企画は社内のほぼ了承も得てきました」というようなことを一気に話した。
瀬戸内さんは、一瞬呆気にとられたように言葉を呑み込んだように見えた。