恋愛至上主義だったあの頃
恋愛が苦手なある女性が三十歳を目前に婚活をして成功した体験談はかなり変わっていました。
あまり参考にはならないかも知れませんが
…。
この女性は周りの男性をよく見ていて、この人と思った人に「結婚してくれますか?」と声をかけて、「ん?」と言った人はパスして、また次の人に「結婚してくれますか?」と声を掛けているうちに「ハイ」と答えた人がいて、その男性と結婚したそうです。
相手の男性を選ぶとき、好きかどうかではなくて、私の子どものお父さんとしてどうか?という観点で決めたそうですが、それもまた変わっていますよね。
いまでは大学生の男の子と高校生の女の子がいる家庭の主婦におさまっています。
恋愛結婚でも見合い結婚でもない独自のやり方で婚活を成功させた彼女は「愛なんかどうでもよくありませんか?」と言います。
「恋愛したい人は恋愛すればいいですよ。結婚したい人は付き合っちゃ駄目、結婚だけを考えるのです」
彼女は熱くならないクールな判断で結婚を成功させたのでした。
彼女の話を聞いているうちに、私の結婚はどういうものだったのか、考えさせられました。
結婚は恋愛の延長線上にあるものと当然のように考えていましたが、はたして恋愛を始めるとき、その相手は生涯のパートナーとしてふさわしい人かという目で見たことはあったか、というと、ありませんでした。
一度もありませんでした。
しかし今は、本能的に熱くなる相手と、結婚して家族になれる相手とはまた別のように思います。
結婚には社会的な一面があるからです。
恋愛結婚して九年一緒にいた人がいましたが、その人が社会的に見て私にふさわしい相手だったかは、はなはだ疑問です。
住む世界が違いすぎる相手とかなり無理をして人生の貴重な時間を無駄使いしていたと今は思います。
若いときは恋愛することだけに夢中になって、結婚を軽視していたところがありました。
結婚はしてもしなくても、恋愛の行き着く流れに任せれば良いと考えていました。
今はその頃と違って、人生の中心に結婚や家族を置くということが大切だと考えます。
しかし当時の私にはよく分かっていませんでした。
自分の両親を見て結婚に夢を持てなくなってしまったのか、人生全般を虚無的で投げやりな冷めた目で見ていました。
こころは一人で誰とも仲間意識をもつことが出来ませんでした。
そうです、私は「仲間」じゃない人と結婚していたんですねえ。
社会背景、環境、付き合っている人、どれをとっても水と油ほど混じり合わない人と結婚していました。
ちぐはぐなカップルだったと思います。
こんな二人が一緒に生きていくのは無理だったのです。
その当時は、自分は何者かがまったく分かっていなかったので、相手が自分にとってOKなのかNOTOKなのかさえ、まったく判別できませんでした。
病んでいたときは、自分の幸せが分からず、自分を大切にすることも知りませんでした。
結婚を軽視して、その大切さが分かっていませんでたが、今はそれは間違っていたと断言できます。
結婚と家族が人生のベースにあるべきです。
そして結婚して家族になるのは、自分の「仲間」としてふさわしい相手です。
この重要で当たり前の前提について、人生もとっくに後半を過ぎたこの時期になって、やっと悟ったのです。
身に沁みてそう思うから、これからは何が大切か間違うことはありません。