ファンタジーが消えるとき
虐待やネグレクトにあった人は過大なファンタジーの世界に生きることになるのは、よくあることです。
否定されて価値を剥奪された体験がある人ほど、親を美化し、理想化して、酷い人だということを認めようとしません。
現実を客観的に見ることができないのです。
虐待されていたのに、うちはまともな家庭だった、うちの両親は良い人たちだった、と言い張る人がざらに居ます。
親を酷い人たちだということを認めると、子供として生きてけなかったからでしょう。
甘美なファンタジーを纏うことによって自分を守っているのかも知れません。
私自身も母に拒絶され酷い目にあいましたが、その反動であるかのように、母は世界一美しく優しい人だという幻想にすがりついて生きてきました。
いつか改心してくれるのではないか、という期待を何時までも捨てることが出来ませんでした。
今年の夏。
長かった嵐が去って病から回復したとき、同時に母親幻想も消えて無くなっていました。
客観的な目で、幻想の母ではない、等身大の母を見ることが出来るようになりました。
私が成長して、子供時代を卒業できたからでしょう。
やっと大人になれたのでしょうか。
愛着障害の治療は母親へのファンタジーが消えることを目指すのだと実感しました。
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