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探し続けた終のすみ家

親とのあいだに健全な愛着を育めた人は「あそこが自分の家」と言える居場所を生涯もち続けることができます。

いったん愛着が形成されると、世界中どこ居ても、親が他界してその家が現存しなくなっても、「自分の家」はいつまでも安心感をともなって心の中に存在し続けるのです。


不運にも帰れる家を持てなかった私は、こころは不安に苛まれて、何時までも親に貰えなかった愛を求め続け、執着し続けました。 


帰れる家が無いのに自立をしようとしていて上手く行かず、自立は帰れる家があることが大前提だと知ったとき、「あ、これが私の人生の問題だ」と悟ったのでした。

私は「帰れる家」がほしかったのでした。

「帰れる家」、それが私にいちばん必要なものでした。

しかし、どんなに親に求めても期待しても愛を貰えることはありません。


「帰れる家」を見つけるには、親との悲しみの過去は終わらせて、自分の終の棲家、幸せな家庭を自分でつくることでした。

それが私の求める人生のほんとうの豊かさであり、克服する課題でした。

そのためには良きパートナーと巡り合う必要がありますが、親への執着があるうちはそれも叶いませんでした。

親につけられた傷を相手に投影して、トラウマの再体験を繰り返しました。

そして、ついに決意して過去と向き合うことを二十年続けました。


しかし子供の時から心はいつも一人で、誰と一緒にいても心から打ち解けられるような親密な関係はつくれません。

安心感はそう簡単に手に入るものではないこともわかりました。

私はこれからどうやって…

「あなたの今いちばんすることは結婚することよ」

その通りなのですが、私を心配して言ってくれる人の言うことも聞けませんでした。

結婚の話題はいちばん避けて通りたい人生の難所なのでした。


親との問題が解決できていなかった私には、幸せになってもいい、という許可を自分で自分に出せないでいたのでした。


かわいそうな親を背負おうとして、自由になれない私がいました。

ほんとうに「かわいそう」かどうかは別にして「かわいそう」だと思っている私が母に依存していたのでした。

なかなか結婚しない人や、結婚しても離婚、再婚を繰り返す人は、女性でも男性でも親と共依存関係にあるのかもしれません。 

親への執着を手放して真に自立することが私のすることでした。

親との関係を癒やして終わらせたとき、そこからほんとうの自分の人生が始まり、ずっと願っていた終の棲家、帰れる家を見つけることができるのでしょう。



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