人の助けを受け入れる
なんでも一人でやろうとする孤立癖が人生が詰んでくる原因なのが分かっていながら、なかなか止めることが出来ませんでした。
社会人になってから周りの親切な人たちから一人でやろうとするのは良くないと教えを受けてきました。
しかし、子供のときに機能不全家族のなかで身につけた遣り方をかんたんに変えることは出来ませんでした。
助け合い、支え合うという暖かな関係を自分のものにする機会を持てないまま大人になったのです。
甘え下手で人に頼ることができないうえに、人が差し伸べてくれる暖かい手を払いのけるようなことまでしてきました。
損な性分なことは重々承知しています。
甘えることを当り前にさらっとできる人が羨ましいです。
甘えることが努力目標です、だなんて言うとおかしいようですが、ほんとうに努力しないと何時までたっても甘えることが出来るようになりそうもありません。
さいきんは相談することは少しはできるようになりましたが、お願いすることはまだまだ出来ません。
なんか迷惑をかけているようで、どうしても気が引けとしまいます。
何でも一人でやろうとする癖は子供のときからですが、実家を出て経済的に独立してからさらに強化されたようです。
実家の親に口出しされることを恐れて、絶対に援助してもらわないことを厳しく自分に課すようになりました。
ひたすら自立を目指して頑張りました。
実家の親はもちろん、他人にも助けを求めるなんてチョイスはあり得ませんでした。
気がつけば孤立の道をまっしぐらに進んでいました。
厳しい人生を自分で選んでしまっていました。
といっても子供の頃から誰にも頼らないのがスタンダードになってしまっていて、それを苦とも思っていなかったし、それ以外の遣り方は馴染みがなくて、どうしたかいいか分からなかったのです。
ところで。
一人でやろうとするのは良くないことだと知ったのは、わりと最近のことです。
職場などでコレをやると、かえって周りに迷惑かけるみたいです。
スタンドプレーが多い人と捉えられて、サポートも得られないし、何かと損をします。
迷惑をかけないように一人でやろうとして、それがかえって迷惑をかけているなんて、私もこれまで迷惑をかけてきたんでしょうね。
人の助けを受け入れることが苦手だったのは、干渉されることを恐れていたからでした。
いろいろ口出しされることを何よりも嫌がっていたのですが、それは自他の境界をきちんと引けるほどの自我も確立されていなかったからなのでした。
自分をきちんと確立できれば、人のサポートも得やすくなるのでしょうね。