毒親だと思っていた父と母は私を認めていた
私は機能不全家族の毒親そだちです。
両親から否定されて育ちましたから、自分を好きになれず、自分を認めることがどうしても出来ませんでした。
毒親である両親は私に暴力をふるい否定して精神疾患になるまで追い詰めました。
両親は自分たちの不安や怒りを子供の私にぶつけてきました。
父は三十年前に六十一歳で早世したのですが、生前は怒りを爆発させて支配してくる暴君のような人で、子供の頃は大嫌いでした。
母は子供の私に愚痴を聞いてもらうカウンセラー役をさせたり、ときには怒りのはけ口としてサンドバッグ代わりに使ったり、子供を愛することができず、逆に子供に愛を求めてくるような、親としての機能は果たせない人でした。それでも母は自分のことを良い母だと思っているような人で、まったく話は通じませんでした。
父については恐怖感から側にも寄りませんでしたし、高校のとき卒業後の進路のことで大反対されて諦めざるを得なかったことは大きな傷になって後々まで残りました。私は父に理解され応援されたかったのでした。私は父を恨みました。
ですが最近は父の見方が変わりました。父はコミュニケーションが拙くて自分の気持ちを伝えることがとても下手だったために誤解されていたと、今は分かります。その事に気づいてからは父を責める気持ちは無くなりました。
家庭の父としてはとても幸せとは言えませんでしたが、仕事をして社会貢献して頼りにされていた別の一面を見直してみると、父を尊敬する気持ちもわいてきます。
私も年月を重ねて、広い視野を持てるようになりました。両親は私のことを何一つ認めてくれなかった。それは固定観念になって私の人生を縛りつけ絶望させてきましたが、果たしてそれは本当なのでしょうか?
そんな疑念が湧いてきます。
よくよく点検してみるとそうではありませんでした。父と母も私の価値と能力を認めていたのでした。
まず母のことから話します。母は私のできることに嫉妬して邪魔してくる毒母でした。相手は子供なのに脅威を感じて嫉妬し足を引っ張るという恐ろしい母親でしたが、一人の他人として見るとそういう人だったのかと、母に対してもっていた恐怖心が憐れみに変わります。
私が小学一年のとき母は「トビがタカを産んだ」と学業成績に驚き、四年生のころから母の虐めが始まり、中学のときには母は実家に行って私の悪口を言い、そして虐めは高校、大学、就職してからも続き、おかげで私は子供時代の記憶のほとんどを失いました。
母がそこまで嫉妬に狂ったのは、それだけ私を認めていたから、それ以外は考えられません。
父も私の前ではそんな素振りは見せませんでしたが、私のことをたいへん気に入り、私のことを自慢していたという話を父の妹の口から聞かされました。父も私のことを認めていたのです。
両親は私のことを何一つ認めてくれなかった、というのは違うのです。両親は私を認めていました。
人はこころの物語を持っていて、物語のとおりに生きています。
両親は人を愛する能力のない冷たい人、私はその冷たい人に愛を求めては得られず傷ついていた、というストーリーを私は生きていました。
私は両親に愛されてなかった。だから誰にも愛されない。そんな思い込みを強化しながら生きてきました。ですが、このへんでそれは本当かどうか見直したほうが良さそうです。
両親は私を愛していたかどうか。少なくとも両親は私を認めていた、それだけは確かだから。自信を持って、わたし。
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