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過去を再評価する
もうどうにもならない時、
急に突破口が開くこと、ありますよね。
そういうときは高い視座が開けて、
全体が見渡せるようになった時です。
例えばトラウマで破壊された
私の人生は、振り返れば
辛いことしかなかったかのようです。
しかしそれは確かに
一面の真実ではありますが、
もう片方の別の面が見えてなかったのでした。
人生には必ず、闇の面と光の面があります。
人生、苦あれば楽あり、というのは本当で、
ネガとポジの両方が見えるのが
当たり前の状態です。
ところが、トラウマがあると
視野がネガティブに固定されて
全体が見えなくなってしまいます。
トラウマがあると
闇の面にフォーカスが当たり、
光の面は見えなくなってしまうのです。
そんな訳で私は自らを
被害者ポジションに縛りつけ、
自分を愛されない人であるかのように
錯覚してきました。
しかしそれは仕方がないことです。
脳はネガティブをしっかり記憶するように
できているからです。
危険な経験は忘れないようにする
防衛反応があるのです。
ですから良かったことは忘れても、
悪かったことは忘れないし、しかも
悪かったことは拡大されて思い出されます。
私の人生、辛いことしかなかった
と思われるのは、脳の特性上
仕方のないことなのです。
トラウマが解消してくると、
人生の光の面が見えてきます。
これまで見えていなかったもう一つの面が
見えてきます。
子供のころ大嫌いだった
父の尊敬すべき面が見えてきて、
愛されていなかったと思い込んでいたけど、
父なりの愛し方で愛されていたことに
遅まきながら気づくようになりました。
父の光の面が見えてくると、こんどは
憎み合って別れたはずの昔のパートナーが、
私の人生にどんな豊かな彩りを
与えてくれていたかが、今となっては
少しずつ思いだされるのです。
過去を再評価する新しい動きがさいきん
私の中で起きています。
もしかしたら過去は
思っていたほど悪くなかった
のかもしれません。
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