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5年後に創作大賞に入選するnoteは、赤の他人の実家で生まれた

5年も前に書いたnoteが、note創作大賞2024に入選した。仕事人間だった私が、旅の中で「生活」の大切さに気づいていく話だ。

26,000作を超えるエッセイ部門の応募作品から8作品に残ったのだから、なかなかにミラクルである。

しかし、思い返せばあのnoteを書くことになった経緯も奇跡みたいなものだった。「実はこんなことがあってあのnote書いたんだよね」と、人に話すと、だいたい「嘘でしょ?」と言われる。いや、嘘じゃないんだ。

というわけで、あのnoteを読んでくれた皆さんに感謝を込めて、ちょっとばかし裏話と、後日談として近況もシェアしたいと思う。

インド人のnoteがバズる25日前

私は、イスラエルにいた。そして、パソコンが壊れて、途方に暮れていた。

2019年、私はバックパックひとつで世界一周の旅に出ていた。2月に日本を出国し、西回りで数カ国を巡り、8月にはエジプトから陸路でイスラエルとの国境を超え、聖地・エルサレムに滞在していた。こんな風に書くと旅情があるが、当時はまだ「旅をしている」というより「移動しながら仕事をしている」と言った方が正しかった。

そんな中、突然パソコンが壊れてしまったのである。

画面がブラックアウトし、うんともすんとも言わない。困った。イスラエルにはApple Storeがない。街の修理屋に持って行くと「部品交換ですぐ直る。でも今は部品がない。EUから輸入が必要。まあ、4週間はかかる。」と言われてしまった。

さすがにそんなには待てない。よくよく調べてみると、日本のApple Storeなら何と1日で修理できるというではないか。さすがはニッポン!ちょうど出発して半年くらい経つ。日本食も恋しい。よし!世界一周は中断だ。いったん日本に帰ろう!

優柔不断な私だが、この時は不思議と日本へ帰ることを即決。遠路はるばる帰るのだから、しばらく夏の日本を満喫しようと思い至り、「日本でおすすめの場所はないですか?」とツイートを投稿した。

この時点では仕事をする気満々だったようだ・・・

すると、顔も名前も知らない人からこんなDMが届いた。

「奄美群島の喜界島はどうでしょうか?」

曰く、実家が喜界島にある。両親は長期旅行に出ており、不在である。そのため、ペットの犬と猫が寂しがっている。犬猫の世話ついでに実家に住んでくれたら嬉しい。世話をしてくれるなら、家賃は要らない。

あ、怪しい…!

こんな都合よく南の島から招待状が届くものだろうか?

Twitter上で交流があった人ならまだ分かるが、本当に顔も名前も知らない他人からの突然のメッセージ。正直驚いた。大丈夫なのか?新手の詐欺か?しかし、やり取りを続けると、純粋な厚意でメッセージをくれたことが分かった。

「家は、トトロに出てきそうな古い木造です(素敵な感じではあまりないですが…)」
「父の趣味、クラシックとジャズ、オペラのレコードと巨大スピーカーあり。」
「ネットは確か光だったと思います。」
「ただし、トイレが水洗でははなく、ボットントイレです…」

いい人な感じがテキストから滲み出ていた。それに、よくよく考えてみれば、知らない旅人を実家に招き入れようとしている相手の方がよっぽどリスクではないか。私が泥棒だったり変態だったらどうするんだ?この方はよっぽどハッピーで変わった人に違いない!

私はなんだか素敵な物語が始まるような気がして、二つ返事で喜界島へ行くことを決め、イスラエルから帰国。東京に着くと速攻で壊れたパソコンを直し、四国や山陰を旅しながら喜界島へと向かった。

インド人のnoteがバズる7日前

早朝4時半にフェリーで喜界島へ到着。日の出を待つ薄暗い道を歩いていると、私の横を通り過ぎようとした車が、「どこまで行くの?」と声をかけてくれた。おおよその場所を告げると、「乗せていってあげる」と、まさかの受動的ヒッチハイクが成立。素敵な島に来たに違いないと確信した。

住所のおおよその場所で下ろしてもらい、大きな道路に面した舗装のされていない私道を進む。しばらく歩くと、ついに知らない人のご実家が現れた。話に聞いていた通り、まるでトトロに出てくるような木造の古い、それでいて可愛らしいお家だ。

玄関を上がるとすぐに畳の居間があり、壁には今年のカレンダーが四種類、家族の写真や旅行先で出会った人との写真、いつかの年賀状などがびっしりと飾られていて、この家の主が人と季節を大切にしていることがよく分かった。

家の中には、冷蔵庫やトイレ、至る所に置き手紙がペタペタと貼ってある。

「不思議な家ですが、好きな様に使って下さい。」
「トイレ(ぼっとん)は左の奥、布団の部屋は右の奥です!」
「虫よけなど、使って下さいね。」
「ブレーカーがおちた場合は、冷ぞう庫の上にあります。」

飼い犬と飼い猫についての案内も。

「ゾロですが、さみしいのか、暑いからか、さみしげでゴハンも食欲がなくなかなかたべません。この前はゆでささみなら沢山食べたのですが、、、外の棚にゾロのえさなど入ています。かわいがってくれると、うれしいです。」

ゾロ(という名前の犬)とネコ(と呼ばれている猫)は、どちらも老齢でどうやら元気がないらしい。二匹とも動きがゆっくりとしていて、よそ者の私が近づいても騒がない。人懐こい子達で、名前を呼ぶと尻尾を振って寄ってきてくれた。

とっても仲が良いゾロとネコ。

今日からしばらく、この子達の面倒を見ながら、知らない人の実家で過ごす。知らない人のお家なのに、家中から「おかえり!」と言われているような、不思議な安心感。深夜のフェリーの疲れが一気に解けてしまい、私は寝室で一休みすることにした。

インド人のnoteがバズる4日前〜当日

島についてからは、歓迎の嵐だった。

まず、このお家の親戚の女性がゾロを散歩させるためにやってきてくれ、その女性の妹さんも様子を見にやってきてくれ、そしてこの家の主の弟のおじさんも様子を見にやってきてくれた。みかんまで持ってきてくれた。ほっこりした。

当初はwifiのあるお家でじっくり作業をしようと思っていた私だったが、歓迎を受ける度に仕事をする気はどんどん削げていった。

徒歩圏内にコンビニもない。

私はもともと東京で働いていて、食事はほぼ外食。1日に3回はコンビニへ行くコンビニ中毒。食費に月に10万くらい使ってしまうエンゲル係数激高人間だった。

そんな私が、島の空気にほだされて、気づけば、ゾロの散歩・自炊・読書・昼寝・ゾロの散歩・自炊という生活を何日か送っていた。

そしたらなんと!仕事をする時間が全くないのである。

犬の散歩をして、ご飯を作って、食べて、本を読んで、散歩して、ご飯作って食べて…あれ?生活しているだけで日が暮れてしまう。衝撃。東京にいた時は朝から晩まで働いていたのに?生活を真面目にしてたら仕事できないじゃん!

そんな衝撃冷めやらぬうちに、さらなる衝撃が私を襲う。

「島を案内しよう」

明くる日、またおじさんが様子を見にきてくれた。今日は島内を案内してくれるという。

喜界島は白ゴマの産地ということで、おじさんは私をゴマ畑へ連れていってくれた。私はそれがゴマ畑とはつゆ知らず、白いお花がたくさん咲いているなあ、と思っていたところ

「白ふや?」

と言って、おじさんが鞘を摘んで中身を見せてくれた。中にはびっしりと白ゴマが詰まっている。

「えっ!?これって、もしかしてゴマですか!?」

声を出して驚いた。恥ずかしながら、私はゴマがこうやってできるものだなんて、本当に知らなかった。こんな、こんな、花の中にゴマが入ってるだなんて。

畑には、腰を曲げて作業しているお婆さんもいた。思わず頭が下がった。

いやぁ、これは困った。ゴマどころの騒ぎではない。もしかして自分が今まで食べてきたもの全部、こうやって誰かが世話をしてくれてたってこと?それを私は今まで無自覚に、何の気もなしに食べてきたってこと?

なんてこった。

私は自分の生活を「外注」して生きていたのだ。自分の生活に関わること全てを、お金を払って他の誰かにやってもらっていたのだ。それも無自覚に!

そのとき、シナプスの間にドババババーっと駆け巡るドーパミンの音がした。まるで鮮やかな打ち上げ花火のように、パっと、2年前にインドで出会ったおじさんの言葉を思い出したのである。

「ちゃんと自分で作った、できたてのご飯を食べなさい。」
「それが無理なら誰かが自分を思って作ってくれたものを食べること。」
「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

あぁ、そういうことだったのか。

正直、この言葉を言われた当時はピンときていなかった。でも、島のゆるやかな時間に身を任せて生活してみたこと、食事を自分で作ってみたこと、畑に行ったことで、私はようやっと、このインド人の言っていたことがわかった気がしたのである。

自分は誰のために何を生産して、どんな消費をして、誰に支えてもらっているのか。目の前にあるものの背景に、どんな物語があるのか。それを常に考え続けることで、自分も周りも大切にできる。

例えば、ゴマを食べる時、あの畑の風景まで思い出せたら、ゴマ粒一つにも感謝できる。例えば、何かを捨てる時、「これを最後に処理してくれるのはどんな人かな」と想像できれば、変な捨て方はしづらい。プロセスに目を向ければ、生活の中で取る選択肢が変わる可能性がある。

マインドフルとは、きっとそういう意味だったのだ。

それで書いたこのがこのnoteだった。当時で16万PV・4000スキを超えるヒット。それからもじわりじわりと読まれ続け、今では25万PV・8000スキを超えるロングヒットに。インド人の叡智は普遍的なものだなあと感心している。

イスラエルでパソコンが壊れなければ、日本にあの時帰らなければ、Twitterをやっていなければ、喜界島へ行かなければ、このnoteは生まれなかった。それも、書いてから5年後に創作大賞2024に入選するなんて。奇跡みたいでしょう?

後日談

あれから5年も経った。

この5年間、生活をサボらないためにはどうしたらいいのか、私なりに考えて、消費から生産の裏側へ手を伸ばすことに積極的に取り組んできた。

社団法人を立ち上げ、消費者が生産活動に携われるコミュニティを作った。みんなで、米づくりをしたり、大豆を育てて味噌を仕込んだり、都市養蜂に取り組んだり。

コミュニティでのお米づくりを始めて今年で4年目。今年も無事に収穫できた!
都市養蜂では1年で50kg弱のはちみつを収穫。

長野でジビエにまつわるサービス運営に関わるようになった。こちらも運営4年目。このサービスでは、グッドデザイン賞をいただき、内閣府の補助金のモデル事業にも選んでもらった。自分も解体の手伝いが少しできるようになった。

去年の冬。解体後に余った鹿皮をなめしているところ。残念ながらうまくいかなかった。

鶏を自分の手でシメてから頂いたり、海藻の養殖現場の海に潜ったり、さまざまな一次生産の現場を見学することも多くなった。

今日、私はちょうど36歳になる。

IT業界にいた時に思い描いていたキャリアは歩めてないし、何も積み上がってないような気がする時もある。一次生産の現場を見たあとでも、平気で生活をサボってしまう時もある。カップ麺で済ます時もあるし、仕事ばっかりなってしまう日々も、まだまだ全然ある。

けれど、私はあの時より無自覚ではない。

私は今日はカップ麺を食べているなあ、とか、これはどうやって作られたものなのかな?とか、プロセスに目を向ける癖がだいぶついてきた。それと同時に、自分は今何がしたいのかな、とか、自分の心にも目を向けられるようになった。

20代の時に思っていた30代とは違うけど、無自覚にお金を稼いで、使って、「一人前」だと勘違いする30代になるより、ずっとずっと良かったと思う。

まだまだ全てにマインドフルでいられるわけでは全然ないけれど、これからも暮らしについて、特に、都市生活のあり方について探求し続けたい。


最後に。
私の人生を変えてくれたインド人、喜界島でお世話になった全ての皆さまに感謝します。また必ずお会いしましょう。


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