息子、高校→大学 勉強の仕方にカルチャーショックを受ける母
次男が大学生になって2ヶ月目。自宅から通学している。
大学2年目の長男は芸大。数学専攻だった私から見ると、長男の大学生活はカルチャーショックだった。講義の数は少ないし、なんだか、いろんな制作をしていて、楽しそう。こんな大学生活があるのか!・・・と、びっくり。本と筆記具さえあれば全ての勉強が完結していた私の大学時代とはまるで違う。
そして次男は、物理専攻。昨年、長男の大学生活でカルチャーショックを受けた私に、次男の大学の様子は、別の意味でカルチャーショック。
今はまだ大学入学したばかりで、高校の延長のようなことをしている次男。リビングのソファで何をやってるかと思いきや、数学や物理の問題を解いている。分からなくなると私に聞いてくる。まだ私にも解けるレベルだから、教えてあげたりする。物理専攻だから、じきに私には教えられない内容になるはず。
で、数学の問題を解いているのだけど、そのやり方がカルチャーショックなのだ。何しろ鉛筆を使わない。紙を使わない。全てコンピュータ。
答えや式をフォームの中に入力していくアプリ使用の課題。息子に質問されたとき、私は、書いたほうが考えやすいので、コンピュータに表示された問題を紙に書き写して、紙に手書きで解く。息子は、手書きの計算さえしない。頭のなかで式を組み立てるか、コンピュータを使って計算している。頭の使い方が違う。
アプリで、正しい答えを入力すれば「すばらしい!」「正解!」などのメッセージが出てくる。コンピュータが判断するから、融通がきかず、近似値計算で数値が0.01違っていても不正解になる。フォームの通りに入力しなければいけないので、答えがいくつかある場合など、入力の順番が違うだけで不正解になったりもする。そんな感じで、問題解く部分じゃなくて、入力の仕方で手間取ったりしている。しばらくやって慣れてきたようではあるけれど。
タブレットに直接書き込んで電子の状態で提出するものあり。まあ、ある意味「手書き」ではあるのだけど、書きにくそう。書きにくそうと思っているのは古い世代の私だけのことで、息子は紙よりやりやすいらしい。まあ、消しゴム使わなくても、書いたものを簡単に移動できたりする便利さはある。
ちなみにタブレットを持っていない子は、紙に書いたものを写メで提出するらしい。
関数のグラフを考える時、私はグラフを手書きするところからやるけれど、息子は慣れた手つきで関数電卓やパソコンのソフトを使って、式を入力してコンピュータが描き出してくれるグラフを見る。手書きよりも楽で正確だし、座標の数値も表示してくれちゃったりする。
数学の問題そのものは同じでも、道具が紙と鉛筆じゃなくて、コンピュータに変わっただけで、頭の使い方が違うなあ・・・とちょっと恐ろしくなる。頭だけじゃなくて、手の使い方が違う、工夫をするポイントが違う。だいたい、ノート整理をするなんてことさえない。手の使い方が違うと脳の働きだって違う・・・。
ちなみに、イギリスでもドイツでも、高校数学の勉強は、関数電卓必須。手で計算もしないし、下手したら九九レベルの計算だって電卓頼り。公式も覚えなくていいし、計算は電卓がしてくれる。ルート2が「ひとよひとよにひとみごろ」なんて覚える必要もなく、電卓が教えてくれる。
コンピュータを使いこなし、新しい機能もどんどん吸収していく若い世代。でも、たとえば災害などで電気が止まったりして、コンピュータが使えなくなったときにでも、自分の力で生き抜いていく力があってほしい。小さい頃からコンピュータづけではその力は育たない。
だいたい、便利な道具を使いだしたら、人間は怠け者になる。小中高の成長段階で怠け者にすると生きていくうえで大事な能力が育たなくなる。成長段階ではアナログで自分の手を使って、自分の頭で考えて、自分で作り出すことをやっておいてほしいと思う。便利な道具を使うのは、そうやって自分の力でできるようになってから・・・と危機感を感じながら思う。
うちの子達はシュタイナー育ちだから、コンピュータも何もなくても自分たちでなんとかできるのだけどなあ。
余談ではあるけど・・、タブレットで書かれたものを電子で受け取り、それを採点する先生も大変だろうなあ・・・と思ってしまうのは、やっぱり私は古い世代だからだろうか。苦笑