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昨日、子どもが小さかった頃に手作りしたものをいくつか記事で紹介した。

私はもう小さな子どもの子育てから解放されているけれど、シュタイナー子育て講座などで教えているので、子育て真っ最中のお母さんたちと話す機会が多い。みんな、予定や家族のことに振り回されたり、家事などで忙しそうだ。

私は自分の子育てを振り返ると、隙間時間いっぱいあって暇だった・・・と思う。なんで私はあんなに暇だと思ってたんだろう?? 笑

確かにワンオペじゃなかった。夫は家事は全く手伝ってくれなかったけど。でも、日本のように、決まりごとや行事や予定で振り回されることもなかったように思う。

こどもたちのお稽古事は小学校中学年になって始めた楽器くらい。だから、送り迎えとかのわずらわしさはなかった。もちろん、その一方で、お稽古事してくれている時間、ちょっと子どもから手が離せる・・・ということもなかった。

幼稚園も行ったのは年中、年長の2年間で午前中だけだし、小学校低学年はほぼずっと午前中だけの授業。

あとの時間は、子どもが四六時中わたしのまわりにいる・・・という生活。

「暇ーーー」と思える隙間時間はどこからきたか?

思い返してみれば、私は、子どもと遊ぶということはほとんどしていない・・・と思う。

子どもが遊べるように環境を整える。子どもが何か作りたくなるように、材料や道具があったりする。

そして私は、子どもがいる場所で手作りや家事をする。私用の大きな箒で掃除をする。子ども用の小さな箒もあるので、子どもはその傍らで箒で掃く。料理も片付けも遊びの一部。うどんを打つのも、袋に入れたうどんの生地の上で子どもにジャンプしてもらったり足踏みしてもらったり、協力してもらったり。

私が手作りをしているのを見ているので、子どもたちも「作りたいもの」のアイデアには事欠かない。私の真似をしてなにか作り始める。私と同じようにはできないけれど、私は子どもの様子をみていて、必要に応じて、教えてあげたり、アドバイスをあげたりする。

おかげで子どもたちが作るものはどんどん発展していき、とってもクリエイティブな人に育ってくれた。手作りをしているから、工夫もできて、自分で考えられる人に育ってくれた。

こうやって書くと、よくできたお母さんに思われるかもしれないけど、そうでもないと思う。ある意味、不真面目なお母さんだったかもしれない。

だって、私は、子どもと一緒に遊ぶなんて、退屈で退屈で仕方なくて、できなかったもの。私は、自分が子どもだったころから、子どもの遊びなんて退屈で嫌いだった。可愛げない子どもだった。苦笑

子どもと一緒に走り回るとかも無理。一緒にお散歩とか出かけるけど、子どもを横目で見つつ、その辺にあるお花やら松ぼっくりやらを観察しつつ、素敵な幾何学模様を見つけては喜んでいたりする。

子どもと一緒にいても、子どもと一緒のことをするんじゃなくて、私は私の楽しいことをして、それを子どもに見せてあげたりする。ほら、こんなきれいな形のお花!・・・とか。笑

そうでもしなければ、「もういいじゃない、次へ行こう!」とか「もうやめよう」とか、子どもを急かしちゃったと思う。自分が好きなことをやっているから、子どもたちは、自分たちのペースで、とことん没頭する時間がたっぷりあった。

そして、自分は自分の好きなことをしているから、子どものしていることに口をはさんで邪魔をすることもなかった。必要ないのにあーだこーだと教えることもなく、子どもたちが自分たちで模索するのを穏やかな気持ちで見守ることができた。

だから、私は自分の好きなことをしつつ、子どもたちも好きなことをする時間をたっぷりとることができた。

いや、これこそウィンウィンでしょ。笑


ついでに言うと、私はこうやって子育てしながら、シュタイナー教育を実践しつつ、その実践を通してシュタイナー教育の教材作りにまで流用した。

一石三鳥。

どこまでも要領がいい私。




こちらのニューズレターでも、教育のことをいろいろ書いています。

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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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