見てる、見てるよ
配達のお兄ちゃんが、エレベーターのない3階まで、ビールの箱やダース買いした牛乳にジュースをぜえぜえいいながら運んできてくれた。
車のない我が家には大変ありがたく、地球にやさしい人々にも熱く支持されているこのビジネスは、ここ数年のコロナ禍のドイツにて、ぐんと躍進。
初期は重めなボトル類をメインとしていたのが、最近はセロハンテープやら猫のカリカリまで取り扱う、買い忘れ(なおかつ外に出たくねえ)時の救世主。
3階までダースのビールやらを担いできては、肩を上下させながら息も切れ切れに話す青年たち(若者メインだがたまにおっちゃんやお姉ちゃんもおる)に、必ずチップを渡すようにしているのだけれど、
「わあ、ありがとう!」と純真無垢なスマイルをもらったり、それまで仏頂面だったのがほわーんと綻んだり、なんか急にぺらぺら世間話始めたり、
みんな、チップ(=労働対価)貰うってうれしいよねえ。
ドイツ人がケチ、っていうのは散々ネタにされていて、かつ鉄板にリアルなんだけれど、お金持ちであればあるほどケチってのもあるあるらしい。累進課税へのレジスタンスか。いや、だからお金が溜まるシステムなのか。その配達のお兄ちゃんたちによると、チップ貰える機会の方が少ないらしい。
むかーしむかし、シドニーの飲食業で働いていた頃、ドイツ人観光客のチップ払いの悪さは伝説級で、どんだけ酔いどれても、(ドイツ人的)適正価格のチップからはみ出させないその精神に感服したものでした。チップ文化のないアジア系は仕方ないとしても、割り切れないドイツ人の身持ちの固さよ。つうか、そんだけ酔っててなんで細かい計算できるんだよ。乱れろよ。
ちなみに、今の彼氏は因果なことにドイツで出会ったシドニー人で、わたしも彼もそこそこ貧乏外国人なのだけれど、チップを気前よく払う節がある。
彼は飲食店勤務ゆえにチップが収入にダイレクトに響く。わたしはフリーランスで自分に巡ってきた案件を全力でやるのがお仕事。でも共通認識として、頑張ってる人は正当な対価を貰うべきだし、自分たちがいわゆる底辺でアップアップしてる時に助けてもらってる恩義もあるよね、ってやつ。
気の利いた仕事(サービス) → お客さん嬉しい → 対価(チップ)→ ほなこれからもがんばろ → お客さんまたまた満足 → 楽しかったしまた頼むわーのうつくしき連鎖。
結局、お互い様ですよね。ビジネスも気持ちいい方が断然いいですよね。
家計厳しき折の臨時収入は神降臨!てなるし、誰かに何かしてもらったらホカホカして、それをどこかで返そうと思う心が、「お互い様」で支え合ってるのがとても好きです。いい時もある、悪い時もあるのよ、人生。
ほんの少しのチップが劇的な助けにはならなくとも、頑張ってる自分に対しての賞賛になる。頑張ってるあなたのこと、見てるよって言われてるような励みになる。あなたの頑張り、見てる人も猫もいるんですよっていう。猫なんか瞬きもせずのガン見で、あなたを労っているのですよ。
何かをしてもらったら、ありがとう。
嬉しかったら、できる時にできる範囲のお礼をする。
それでいいじゃないですか。
とんねるずもみなさんのおかげです、言うてました。
その後、おかげでしたと過去形になってるのは微妙に気になりますけどね。
人という字はーて、金八さんも言うてました。
「人」と「入」の違いはなんですの?とか無粋なことは言わずにですね。
おたがいさま、おかげさま、の世界っていいですよね。
ところで、「お陰様で元気です」を英訳するのって難しいんですよね。そこには目に見えない神仏の存在だったり、気持ちの循環だったりがあって、そういうの日本人らしくていいよな、って思うのです。
ムラ社会ならではの、うまいこと周りのこと持ち上げとかなー、もあるんでしょうけどね。
見てる、見てるよ。
壁に耳あり、障子にメアリ―。