猫屋敷の田村さん/前世占い2
嵐の1日だった。11月の台風は数十年ぶりの襲来にふさわしい大きさで私たちに襲いかかってきた。
私もそのあおりを受け、巻き込まれていった。手始めに、野芥の山奥でこけた。両膝いったのである。妙齢の女性とは思えない体幹の弱さである。痛い。幸か不幸か発見者はいない。ここ野芥という場所から、今日は下関に行かねばならないのだ。占いを受けに行くのである。
アラサーの女は占いに弱い。しかも、単に弱いわけではない。緻密に、確実な筋からの情報を収集し、精査の上で行く価値があると思えば新幹線にも乗る。アラサー女にとって、占いは光として存在する。沖縄には「ゐなぐぬ みっちゃいするりば ユタぐどぅ(中略)」という諺があるらしい。ユタとは、簡単に言えば、沖縄にいる女性のシャーマンのようなものだ。ゐなぐとは、琉球語で女性たち、と言う意味である。つまり、「女が3人集まればユタの話をする」ということなのだが、これはここ福岡でも変わらない。女が3人集まれば占い師の話をする。多分全国共通だろう。アラサー女の悩みは深刻なのだ。できるかわからない結婚、先の見えない仕事、はっきりしない彼氏、子供は産めるのか、自分は生きていけるのか、全く前が見えない。ほんの少しの指針が欲しい。藁にもすがる気持ちで、女たちは今日も口コミで怪しげな占い師の話題に華を咲かせるのだった。
特筆すべきことは、私の出身高校が女子校だったことだ。大変居心地が良く、いまだに仲良くしている友人もたくさんいる。幸せなことである。そして見事に全員いろんなことに悩んでいる。悩みは様々である。私たちはおしゃべりはできても、相手の問題を解決する介入はできない。みんな自分の問題は自分で解決するしかないことを知っているからだ。女の友情は、相手に侵入することではなく、相手の外側を補強することに注力されている。手は出さないのだ。唯一、占いというツールを通してみると、相手にそうかも、そうじゃないかも、と、一歩踏み込んで話せるのだ。占いは手段に過ぎない。
そんな中、私たちの話題を攫う占い師がにわかに現れた。猫屋敷の田村さんである。田村さんは猫を大量に飼っていて、その上ものすごい速度で喋る。下関の辺鄙な場所にある民家で占いをしていて、料金は30分で3,000円、時間は厳守、帰り際には某宗教家の本を渡してくるらしい。かなり怪しくていい感じだ。
彼女が得意なのは霊視とホロスコープでの鑑定、そして前世占いである。前世での縁が今世の人間関係にも影響してくるらしい。かなり怪しくていい。リーンカーネーションとかいうやつである。怪しいものは大好きだ。友人と予定を合わせ、11/2に下関に行くことにした。
そして当日、博多駅。ダイヤが乱れに乱れて新幹線も在来線も私の両膝もボロボロの状態だった。下関に辿り着けるかも怪しくて私は途方に暮れた。しかし問題はなかった。同行者のAちゃんの存在のためである。Aちゃんはとにかく効率化が好きで、天気のことも考慮して様々なパターンを考えてくれる。しっかりしてくれるのだ。新幹線の自由席は人でごった返している。Aちゃんと相談してなんとか田村さんに電話する。「私にはどうすることもできない」と言われた。そんなの天候のことなんだから私にもどうすることもできないに決まってるのだが、こちらも下関まで占いに行くほど切羽詰まっている。相手の要求を飲むしかないのだ。弱みを見せるというのは主導権を放棄するということだ。自分のオールは自分で漕げ、ということなのだろう。一つ勉強になった。
新幹線で小倉駅についても、ダイヤは混迷を極めていた。このままでは確実に間に合わない。しかし、私たちの執念は伊達ではない。もちろん小倉駅でタクシーを拾い、田村さんの家に向かったのだ。大雨の中、光を求めて。途中、ジブリでしか見たことない道や、微妙に位置の違うナビにより翻弄された運転手さんのお爺さん特有の焦り方により、私の方が緊張して押し黙ってしまった。怒られるのが致命的に苦手なのだ。Aちゃんが道順の案内をしてくれて、私たちはようやく田村さんの家に辿り着いたのだった。20分遅れだった。
田村さんは平屋の窓から笑顔で挨拶してくれた。思っていたよりも優しそうな人である。栗色の毛をした猫も出迎えてくれて、「猫屋敷の田村さん」という名に相応しい出立である。怒られなかったので本当に安心した。
20分遅れたので、鑑定時間は40分で2人ということになった。「これは料金も変わらないんですかね?」と聞くと、「時間に対してだからね。お金を払っているのは。」と言われた。私は『田村さんって時給で働いてるんだなあ』と内心思ったが、言わないことにして相槌を打った。万が一気に障ってクソミソに言われたらたまったものではないからだ。
占いが始まる。女3人民家で占いというシチュエーションに笑いそうになるが、堪える。正面を見ると向かって左の本棚には某宗教家の本がびっちり敷き詰められており、下の段にはそれらのメディアの手前に田村さんが使っているであろう家庭用の白髪染めや整髪料がある。田村さんの髪は白髪混じりの茶色だった。右側には猫の餌やちゅーるが無造作に置いてあって、この人の人生はこうなのだなと思った。カーテンは白地に濃いピンクの花柄で、よくわからないセンスを感じた。まずはAちゃんからだ。Aちゃんは前にも猫屋敷に来たことがあり、今回は今の彼氏との関係を占っていた。前回言われたことと8割は同じ、2割は少し違うとのことだった。田村さんはいくつかの前世を提示してくれる。Aちゃんの前世はスペインで女優をしていたり、ヨーロッパで正室になり側室とバトルを繰り返したりしていたらしく、華やかかつ気の強いところのある女の子である。ラッキーナンバーは「9」で、女王の数字というふさわしさだった。しかも今の彼氏は一言で「王子」らしい。私も興味深かった。詳しくは聞いていなかったからだ。女の友情は外で支え、中に踏み込まないところにある。後でAちゃんから、アイロンを使うタイプの薄いハンカチを使う人だと教えてもらって笑ってしまった。確かに王子だ。
相手は王子なので家族に何をすればいいかわからないから、Aちゃんが自分から強引にいってしまえば結婚できるとのこと。案外これができないカップルが多いんだろうなと思うので、的を射ているように感じた。ぶっちゃけ女性が色々できちゃうタイプなら、尻に敷いたほうがいい家庭になる気がしてしまうのだった。Aちゃんは私よりもお淑やかなので、運がいいのに使い所がないそうだった。野生児のように生きている私からすると死ぬほど羨ましい能力である(彼女にもいろんな苦労がある)。ちなみに、彼女の前世では、仕事の一環で今の彼氏と出会っているとのこと。手くらいは差し伸べられたと聞き、『手を擦り合うも他生の縁ですな』と1人おじさんのように頭の中で呟いた。
いよいよ私の占いである。ホロスコープに、名前と、生年月日と、生まれた時間を書く。私はあと6分早く生まれたら早産だったんだよなと思いながら、生まれた時間まで書き終えた。
田村さん、ここから怒涛のコメントである。どうやら一見さんにはとにかく見えたものを伝える傾向にあるらしい。私もよっぽどおしゃべりなのだが、田村さんは本当に口が回るのが早い。若干聞こえない上に20分でも余るくらいだった。
内容としては来年から仕事の運気が抜群にいいとのことだった。来年度から仕事面で新しい挑戦をするので、とても嬉しい話だった。というか私は歳を経るごとに仕事の運気がぐんぐん上がって行くらしい。女性から人気があり、女社会で管理職向きということだった。嬉しいことである。
しかも身体が死ぬほど丈夫らしく、生涯現役で働くらしい。90になっても家でじっとテレビを見ているということはないと言われた。気持ちも生涯若く、老けた感じもせずにババアになっても20代の女の子とタメ口で話す人間になるらしい。キャリアウーマンとして金を得て、勉強と趣味をやりまくり上げることが使命と言われた。とにかく体が丈夫で女社会のトップに立つと言われた。
女社会のトップに立つというのは、前世からの因縁らしかった。というのも、私は一つ前の前世ではオーストリアで看護師をしていたそうだ。前世はほとんどヨーロッパ人で、ドイツやハンガリーにも生まれたことがあるらしい。また、イギリスのロンドンで金持ちの娘として生まれ、貴族の教育係もしていたそうだ。だから教育能力があるらしい。実際そうかは知らないがそういう因果関係という説明だった。センスもヨーロッパ的で女性的ないいものがあると言われた。ありがたい。
加えて、聞く限りだと割と良い身分の女性であることもあったようだった。秋田では着物のよく似合う頭のいいおしゃべりなお姫様で、中国では皇子だったらしい。いつの時代の中国かにもよるが、皇子になるというと流石の私でもわかるほど大したご身分なので、全く品のない私の前世らしくないくらいだと思った。また、ドイツでは貴族ではなかったが側室として召し抱えられ、毎夜毎夜舞踏会で社交とオシャレとダンスバトルを繰り返していたらしい。負けず嫌いは変わらないようだ。とにかく女社会でトップだった前世があるので、今世でもトップとして女性に教えたり助けたりする立場になるということだった。私自身、そんな大層なものではないが、そうなったら素敵だと思った。
この説明を聞いてめちゃくちゃ心配になったのが、恋愛のことだった。私は本当に男心というものが全く1ミリたりとも理解できず、相手が私のことを好きかどうか本当に考慮せず接するのでびっくりするような出来事が起こる。しかもこの占いの方向だったら私は仕事しかせず恋愛とかはできないのではないかと思ったのだ。人は光ばかりで生きていけない。
ところが、田村さん曰く私は別に男心を理解しなくても別に大丈夫とのことだった。拍子抜けした。大層なことに、私は「男の人にわざわざ好かれようと我慢したり努力したりする人間ではない」と断言された。本当に恐縮なのだが、この点に関しては全くおっしゃる通りだった。我慢したり努力したりする事態になってしまうと私は男性から離れてしまう。流石に驚いてしまった。「仮にそういうことになったらあなたから捨てる」と言われたので、傲慢なことをしているなぁ…と複雑な気持ちになった。
しかし、別に普通に結婚はできるらしい。結婚したらしたで良妻賢母の見本のような女性になり、パートナーの存在でやる気が出ると言われた。本当に言われているので録音した音声を聞かせたいくらいである。めちゃくちゃ理想的な状態だと思った。
パートナーがいなくても運命の相手も占ってもらえるのだが、九州男児にはあまり縁がなく、広島や岡山出身の人と縁があり、出ようと思えば都会にも出られるそうだ。パートナー自体も、とても背の高い、178cm以上でスタイルの良い男性とのことだった。日本人離れした、手足が長い、肩で風切るような颯爽としたエリート肌の男性らしい。顔はサル顔で雰囲気イケメンだが、男らしいかっこよさがあるとのことだった。雰囲気でもイケメンでかっこいいなら御の字である。
しかも、自由人で飄々としていて、明るいし、ユーモアのセンスもあるし、頭も切れて会話が上手い、都会的な人だそうだ。仕事ではリーダータイプで、専門的な仕事で独立して、一緒に仕事をするパートナーになるかも、とも言われた。スピード婚、プチセレブ婚らしい。すごくいいなと思った。本当にこんなに素敵な人と結婚できるのかと疑問を抱くほどであった。この人は本当に私の人生の話をしているのか。
私とその人は自由人同士で、1人で生きていける2人が一緒になるそうだ。縁があるため2人で外国に行くこともあり得るらしい。子供も私の体が丈夫なため3人産めるそうだ。元気で面白い子供と言われた。しかも家族全員めちゃくちゃ喋るらしく、私のおしゃべり度を考慮すると逆に将来が不安になる予言だった。会話が成立しない可能性がある。より詳しい情報は割愛するが、とにかく私にとってめちゃくちゃ理想的な結婚だった。
総括すると、私はとにかく24時間フルで楽しむことが人生の優先事項であり、エネルギッシュで体が丈夫、死ぬほど働き死ぬほど遊び金が足りなかったら死ぬほど稼ぐといった具合らしい。「楽しくなかったらやめる」と断言された。意外と粘り強かったりするのだがそこは評価がなかった。とにかく楽しむことと、様々な勉強のために生まれてきたこと、生涯を通じた女子ウケのよさ、生命力の強さを強調された。85歳までは確実に仕事をし、生きようと思えばいつまででも生きれるらしい。ほとんどONE PIECEのドクターくれはではないか。そんなに長生きするつもりはなかったのだが、そんなことを言われると人生プランも変わってくる。
なんといっても、今目指している仕事の適性と、文才について言及されたのは嬉しかった。どちらもそれなりに不安があったのだが、全く関係のない他人から断言されるとなんだかそんな気持ちになってくる。ちょっと自信になってしまった。悪いところが何一つないではないか。しかも、あまりも事細かに話してくるので説得力がある。
話は変わるが、私とAちゃんは正反対と言ってもおかしくないタイプである。私は野生児だが、Aちゃんはお淑やかだ。顔や雰囲気も全く違う。しかし田村さんによると異様に相性がいいらしい。首を捻った。しかし確かに女王と女性社会のトップならほぼ同じなはずである。
田村さん曰く、「前世では出会っていないけれど、相性が良すぎるからあの世で同じ場所にいて同じところから生まれてきてる」とのことだった。2人で声をあげたが、意外にもこのパターンは多いらしい。私とAちゃんは、あの世にある、近代ヨーロッパ風の女子ばっかりの空間で仲良くなったそうだ。私はあの世でも前世でも今世でも永遠に女子会をしていたのだった。どうりで女子会がやめられない訳だった。どう考えてもやめられないのが不思議だったのだが、確かに私1人の力では無理です。あの世を左右するのは。私は一生女子会の女なのだ。どうせ来世も女子会をしている。
そんなことがわかったところで占いは終わった。帰りに一冊ずつ某宗教家の本をもらった。
しかし、本当に拍子抜けした。鋭い指摘がバシバシ、今日の雨のように降り注ぐと思っていたからだ。いいことしか言わないではないか。私の心の奥にズバズバとメスを入れてくるのかと思っていたので、ポジティブで優しい言葉にギャップを感じた。人生ってそんなにうまく行くのか。逆に不安になる。
ただ、この人が何をしたいのか、少しだけわかるようなやりとりがあった。田村さんは、私に「退屈しない人生になりますよ」と言った。私は捻くれ者なので、「良くも悪くも…」と返してしまったのだ。田村さんは間を置いて、少し笑った。やはりそうなのだ。田村さんはほとんど、私の光の側面にしか言及していない。陰の部分はあえて言っていないだけなのだ。つまり、田村さんがやっていることは基本的に私たちのおしゃべりと違いがない。彼女は私たちの自信、外側を補強する達人に過ぎないのだ。ただ、その補強が抜群に上手い。私たちを傷つけないワードセンスにより、スポーツカーの外装とジェットエンジンを付け、綺麗に飾り立てることもできる。前に進むだけの鎧を作ってくれる、紛れもなく占い師という職人なのだった。それはアラサーの私たちにはできないことだ。しかし、やはり車の運転は私たちがするべきであることには変わりない。だから、彼女の占いが昔から評判で、リピーターが多いのも、心のメンテナンスとガソリンの補充という意味合いなのだろう。定期的に行われなければならない。そしてさらに、田村さんという全くの他人が言うと、私たちはそれが全てと思い込みがちなのかもしれない。
私たちは、ポルシェが欲しいと言ったわけではないし、月を手に入れたいと望んだわけじゃない。ただ愛と健康を手に入れて、素朴に豊かに生きていきたいだけだったのだ。私たちの幸せなんて、その辺にころころと転がっているものだ。みんな見えていないだけなのだ。それに意識を向けさせ、その方向に進ませるのが占い師の仕事だとしたら、やはり田村さんは偉大なのかも知れなかった。
もう一度言う。私たちは、月をくれって言ったわけじゃない。だからこそ、ほんのささやかな幸せが手に入ると言われたら、浮かれてしまう。嬉しい気持ちで帰路に着いた。
それにしても気分がいい。褒めちぎられるとはこのことではないか。これじゃあ自慢になっちゃって、noteとしては面白くないかも知れないなあ、と、恍惚とする。
帰って意気揚々と録音を聞き直す。このnoteを書くためだ。この時、一言聞き取れなかった言葉を改めて聞いてみた。「諦めが早い」と言われていた。心が折れそうになった。膝はでっかいシミになるだろう。