勉強する⑥『丸山遊郭周辺の奉行所関連について』
ずーっと悩んでいたタイトルのつけかたを変えてみました!そっとアドバイスをくださった賢人Sさんにこの場を借りて感謝のミルクを捧げさせてください。
最初に貼った図ですが、これはもともと自分が江戸長崎を理解するために手書きやExcelで作ったものを、むりやり図にして清書(清書?)してみたものです……が、おわかりでしょうか……?
この令和に対応できていない隠しきれない昭和感と雑さ。めちゃくちゃ図をつくるのが下手で自分でもびっくりです!!
なぜこれを作ったのかというと、丸山遊女を出島や唐人屋敷に呼ぶときの書類作成や揚げ代支払いをする際、通事通詞や乙名をとおす必要があったからです。ちょっと手続きが面倒くさいので自分が理解するために図にしてみた、というわけです。
では、ここから本題です。
今回はとくに引用や図表がおおいので読みにくくなってしまいましたが、おつきあい頂けると幸いです。この管理体制は次から予定している、とくに遊女の異人居留地の出入りについて頻出してくる役職がおおいのです。
長崎は藩ではなく、幕府直轄の領地・天領です。天領になる基準がちょっとわからないのですが、長崎は鎖国下で唯一公式に認められた海外貿易都市なので納得です。
乙名についてですが。江戸全国の乙名制度にくわしくないので(時間もない)、この記事では長崎だけに視点をあてて役割分担などをまとめました。
それぞれの役割
乙名(おとな)
・惣町乙名→貿易に関する業務、盗賊方などの行政上の業務
・両町乙名→遊郭の仕事に専念、諏訪祭礼での踊り奉納、犯罪者が死罪の際(磔木・獄門台、竹枝の提供、町内から刑場へ人夫の手配、牢屋掃除)
・出島乙名→出島に在中し日本側の貿易事務、出島内で働いている日本人やオランダ人の監督監視、出島に出入するための門鑑(通行許可書)の発行などを行った。
組頭
・惣町組頭→乙名代理。会計を中心とした事務手続きや対外折衝
・両町組頭→上記乙名代理業務に加えて、遊女が出島や唐人屋敷に出向いた際の現地待機
※現地待機については、また別記事にします
日行使(にちぎょうし)
資料がみつけられず、実態が不明のままです
ほかにも、長崎にもいろいろな地役人さんがいるのですが、とりあえず丸山遊郭周辺はこんな感じです。
惣町乙名さんは、両町乙名と出島乙名との比較のために記事にいれました。
ここが当時の長崎における、いまふうにいえば優先すべき事業であったのだと思われます。つまり「他の町乙名と同じ業務をしなくていいから、遊郭や異国人居住地の管理に専念すべき」と判断されたのでしょう。
公許遊郭のある丸山町・寄合町、とくに「組頭」について。総町乙名の倍の人数を割当てしていることから、その業務が特殊なものであったと推測しています……っていうか、出島や唐人屋敷と行き来するだけでいちいち書類や密輸防止の荷物改めといった特殊業務が遊女ひとりひとりに発生するのです。コピーやメールもない時代、いちいち手書きの書類作成や届出などは、頭数ないと到底こなせない量だったのではないでしょうか。
また、出島や唐人屋敷に遊女を派遣(ここが他の遊郭とは違う点です)する際にも、現地まで足を運んで遊女の出入りを見届けなければいけません。
そりゃいくら人数増やしても足りないわ…というのが個人的な感想です。
つぎあたりで、いい加減丸山遊郭のほうに行きたいです。涙
これも時代によって客層や揚代が変わるので、どう説明したらわかりやすいかなぁ…と悩んでいます。
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