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小さくて大きな最初の一歩

ロシアがウクライナへの侵攻を開始したとの衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、二月頃のこと。

このニュースを聞いたとき、11歳の頃のある記憶がフラッシュバックした。平日の夕暮れ時、スーパーからの帰り道。かかってきた電話に出た母が間もなく膝から崩れ落ち、手に持っていた袋から林檎が一つ、ころころと転がり出る風景だ。その日は2001年9月11日。電話はアメリカ同時多発テロを知らせるものだった。父はその頃、ニューヨークに出張中だったのだ。

幸い父は無事だった。
しかし、人々が燃え盛るビルから身を投げる姿を見たと暗い声で言っていた。また、かつて私は隣のニュージャージー州に住んでいたこともあり、多くの同級生の親が当時ニューヨークで働いていたので、到底この出来事は他人事には思えなかった。事件の晩、私は友人が編んでくれた米国旗柄の毛布にくるまり「アメリカがかわいそう」と泣きながら眠った。幼いながらに「戦争は誰も幸せにしない」と強く感じた。

そのため、まるでテロ同然の侵攻で多くのウクライナ民が犠牲になっているとの一報は本当に許せなかった。しかし、一番許せなかったのは、今、この瞬間に世界で理不尽に人々が命を落としているにもかかわらず、何もできずにいる自分自身の無力さだった。

私には世界を変えるような大きな力はない。しかし、何かをせずにはいられない。そんな強い気持ちが胸にこみあげてきた。この気持ちが生まれたのには、2歳の息子の存在が大きく影響していると思う。息子がこれから生きることになるこの世界を少しでも素晴らしいものにしてあげたいという母としての強い想いが、立ち竦んでいた私の脚を動かした。

私は小さくてもいいから世のためになる活動をしていこうと決意した。まず、ウクライナの難民支援の募金をした。海辺のごみ拾いボランティアへの参加を始めた。月一で手話教室に通うようになった。そして気づいた。世のため人のために始めたはずの活動は、結果的に私自身にも大きな満足感をもたらしてくれるのだ。

そして様々な活動を通して、漠然とだが夢ができた。大人になってしまった人たちに、子供心を思い出してもらう活動がしたい。優しく温かな子供心を思い出せば、世界はもっと平和になるかもしれない。そんなことを考えるようになった。

悲しいニュースをきっかけに踏み出したこの小さな一歩は、今後私の人生を動かす大きな一歩になると信じている。


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