翻訳という仕事と、宇多田ヒカルのこと
昨年の12月から、ひょんなきっかけでずっと夢だった翻訳家を名乗れることになった。
何年も前からずっと英米児童文学に関連した翻訳家になりたいと思っていて、スクールまで通っていたのだが、きっかけをなかなか見つけられずに出産などを経てライフステージが変わり、「もう夢で終わっちゃうのかなあ」と思っていた矢先の出来事だった。内容も英米児童文学をベースとしたものや、様々な素晴らしい映画に関連したもので、人生とは本当に何が起こるか分からないものだと改めて実感している。本当に運が良かったし、ご縁に恵まれていたとしか言いようがない。感謝しかない。
ところで、私が世界で最も敬愛するアーティストである宇多田ヒカルが、先日初のベストアルバムを発表した。そのおかげで、テレビ出演の嵐で日々推し活に追われている(とはいえ子供がいるので、もっぱら子供の寝かしつけ後に睡魔と闘いながらTVerで後追いをする日々なのだが)。先日、その一環でEIGHT-JAMにて「宇多田ヒカル特集」なる特集が組まれ、視聴させてもらったのだが、これが永久保存版にすべきなのではないかというほど素晴らしい内容で、番組が始まってから終わるまで、気づいたら正座をして見入ってしまった。宇多田ヒカルの作る音楽が、プロの目から見たときいかに計算し尽くされているか(しかもそれを彼女自身は感覚的にやってのけているところにまた彼女の才能を感じた)が分かったりと、ひたすらにしびれる内容だったのだが、その中で一点、特に私に響いた箇所があった。それは、彼女が歌詞を思いつく過程を「釣りをしている」感覚でいる、と言った場面だ。
細かい言い回しまでは忘れてしまったのだが、端的に言うと、先に出来上がったメロディーに歌詞を当てはめていく作業をしているとき、何気ない日常を過ごしている中で(例えば子供の学校の送り迎えや、お風呂に入っているときなど)突如「あ、これだ!」と思うことがある。いわば、自分は生活をしている間中、ずっと頭の中で釣りをしていて、自分が探していた言葉が、まるで魚が釣れるような感覚で突然思い浮かぶのだといった内容だった。私は(大変おこがましくも)この感覚は、自分が翻訳を行うときと似ていると思った。
私は翻訳の仕事をするとき、基本的にはまずその文章を最後まで一気に訳す。そして、あとから何度も読み直しを行い、言葉を一つひとつ確認し、必要に応じて直していく、という作業をしている。当然、初めに一気に訳す際は「しっくりこない」場所というのが多々ある。そういう「しっくりこない」場所については、仮の文字を当て込む。そして一旦PCから離れ、家事や育児を行っているときに突如「あ、この言葉があったじゃん!」と思いつくことがあるのだ。そんなわけで、宇多田ヒカルの「釣りをする」という言葉を聞いた際、自分も同じように日常で「言葉の釣り」をしているということに気づかされたのだ。つくづく、彼女は漠然とした曖昧な状況を、誰もが分かりやすいような言葉で表現する天才だな、と思った。
翻訳という仕事は、時に軽視されているなと感じることがある。悪気はないのだろうけど、知り合いから「ただ訳すだけでしょ」とか「とりあえず意味が合ってればいいんでしょ」といったことを言われて、沸々とした気持ちになることがある。簡単に思われるかもしれないが、翻訳は本当に難しい。そして、やりがいのある仕事なのだ。どのようなターゲットや年齢層に向けられた文章かにより、使える言葉の制約がある中で、読み物としての面白さもしっかりと残さなければならない。誤訳をしてしまっては実際の著者の言葉を正確に伝えられないし、かといって意訳しすぎると著者の意図とずれかねない。私はとにかく、それを書いた著者の伝えたかったことをなるべく細かいニュアンスまで残しつつ、ターゲットとされる日本の読者がすんなりと読めるようにということを心掛けながら、日々丁寧に訳している。そうして、私の訳を読んでくれた人が、実際に書いた異国の文章に親近感を持ってくれて、それがきっかけとなり紹介している物語に興味を持ってくれたら本望だ。
翻訳という仕事は、軽視されがちで、地味だ。著者の名前は覚えられても、訳者の名前まで覚えてもらえることは少ない(私が今仕事で扱っているものについては、私の名前すら載らない)。でも、地味にすごい。本当にすごい。異国の言葉が読めない人たちに、異国で書かれたものを楽しむことを可能にするとても大切な仕事だと思っている。AIの翻訳機能である程度までは訳せても、細部に至る描写や人間ならではの感覚は、やはり人による翻訳でしか表現できない。そのため、私は自分の仕事を誇りに思っている。釣りも、地味だと思われがちだ。魚が食いつくまでひたすら待たなければならない。でも、世界で活躍するあの宇多田ヒカルだって、釣りをしないと歌詞が出てこないと言っていた。だから、地味でも、大切なことは大切なのだ。
そんなわけで、私は今日も釣りをする。大好きな宇多田ヒカルもそうしているように、大物がかかることを期待して、一人でも多くの読者を楽しませられることを夢見ながら。