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伝説のこどもたち ゆずひこ

いまは、四十歳くらいなのかな?ゆうちゃんが、来始めたのは小学校1年生くらい?細くてよく動く子でした。当時は、「自閉症」という診断名だったかもしれません。典型的な「高機能自閉症」の子どもさんでした。知的に高いので、小学校4年生くらいまでは、通常クラスにいたと思います。それから、中学校まで支援クラスでした。勉強はできるのですが、休み時間に友達とトラブルになったりしていました。先生にもよく怒られていました。ままごとみたいなことが好きで、お人形をおんぶ紐で背負いながら、自転車に乗っている姿をおもいだします。独特のイントネーション、同じような言葉の繰り返し、遊び方へのこだわりと、ぎこちない表情は、アスペルガーの子どもたちとは、ちょっと異なります。妹のブルマーやスカートをこっそり履いていることがあって、おかあさんが笑いながらはなしてくれました。

勉強することも好きでした。本人が行きたい高校があって受験勉強を一生懸命やっていました。しかし結果は、不合格でした。当時は、支援学校の高等部はできてなかったかもしれません。作業所に通うことになりました。

「ずっと、普通であることに拘ってきたような気がします。でも、結果は作業所だった。それなら、最初から支援学校みたいなところで、のびのびやらせてあげてもよかったのかもしれない」お母さんが、つぶやいた言葉です。

それを聞いて、わたしも「そうだなぁ、ゆうちゃん、しんどかったなぁ」と思いました。しかし知能検査では、いつもIQは100をこえていたので、支援学校にははいれなかったはずなのです。

そこから、しばらく会えなかったのてますが、成人してからのゆうちゃんは、わたしの以前の職場に日中一時支援の利用者として通ってくるようになりました。スタッフには、彼を「準スタッフ」のように扱って欲しいとお願いしていたので、「準スタッフのゆずひこです」と、誰にでも挨拶していました。当時流行ったアニメのキャラクターの名前です。その時から、わたしは、先生ではなく「みかん」と、呼ばれています。バイクに乗って隣の市から、通っていました。

2階の受付から外をみてると、クラクションの音が響きます。バイクに乗って歩道に入ろうとしているゆずひこが、杖をついたおばあちゃんにクラクションを鳴らしている最中でした。慌てて降りて謝りにいきました。

お気に入りの婦人服ブランドがありました。常にその話をします。就職するつもりで、履歴書を送ったこともありました。ズボンと一緒にスカートも履き始めました。今では、そういう服装をしている人もいますが、ピンクや黄色のタンクトップにスカートを履いてバイクに乗ってる人は、あのころでは、とても珍しいことでした。「周りの人がびっくりして、事故をおこすかもしれないでしよ。」ビルの中ではいいけど、外ではスカートはズボンの中に入れることとルールを決めました

おばあちゃんには、クラクションを鳴らすくせに、交通渋滞などにはやかましく警察署に独特の文体で投書をしたりします。読んでみると、真っ当な意見だったりはします。

ある日の夕方、帰宅途中のわたしに、お母さんから電話が入りました。「警察から連絡きてるんだけど、ドーナツ屋さんで、服を脱ごうとして警察が呼ばれたらしい」かあさんが駆けつけるより、わたしの方が早いので、警察署にむかえにいきました。わたしの頭の中では、その光景が浮かんでいました。「ああ!あれだ」ズボンの中に入れたスカートがゴロゴロするので、ベルトを外してズボンを履き直しているところです。お巡りさんに説明をして、「外では、ズボンの中を直さない。直す時は、トイレで行います」とゆうちゃんに誓約書を書いてもらました。その後、お母さんが駆けつけたので、注意だけで終わりました。

今日の写真は、ピューピューと名付けた禿げたかのぬいぐるみです。ゆうちゃんは、よくそれを抱っこしていました。そういえば、ふわふわしたものをいつも触っていると聞いたことがあります。ポケットの中の綿埃をさわっていると聞いたこともあります。

いまは、A型の作業所に行ってます。ずいぶん長いこと会っていません。今回、引っ越しのための片付けをしていてこの絵を見つけました。どうしてるかな?連絡してみようかな。(彼の女性服に対するこだわりは、彼独自のものです。高機能自閉症の人のこだわりとは、別のものだとおもいます。)

「伝説のこどもたち」は、私の43年の歴史の中で印象的だった子どもたちの物語です。マガジンにいれてありますので、ゆっくりご覧ください。

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