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「療育」って…#4

肢体不自由の子どもたちが減っている施設の中で、私1人が忙しくなっていきました。最初は手術室の隣のリカバリー室を借りて、窓のフックとドアにハンモックを吊るしたりして子どもと遊んでいました。そのうち、外来の理学療法室の一部をつかってもいいことになり、最終的には、理学療法室を全て使っていました。これも、肢体不自由の子どもが減ってきていたということですよね。

外来の新患さんも肢体不自由ではなく、今なら「発達障害」と診断される子どもたちばかりになってきました。当時の診断名は「微細脳障害」「精神発達遅滞」「精神運動発達遅滞」「自閉症」「てんかん」「染色体異常」等だったと思います。

また、不思議なことに肢体不自由の子どもたちにも、変化が現れ始めました。進行性筋ジストロフィーやダウン症に、明らかな自閉症の合併症状がある子どもたちが増えてきたのです。私はこの不思議な変化が気になっていろんな人にきいてみたのですが、誰からも答えを教えてもらうことはできませんでした。

他のスタッフも、外来の子どもを担当していましたが、訓練回数は担当に任されていました。私は、なるべく毎週やってあげたかったので、訓練時間を勝手に変えて1日に12人を訓練する様にしていました。しかし担当の数が増えるにつれて無理が出てきます。全く休憩を取らずに12人をやっていたので、切り替えの時に帰る人と、これからの人が出会う時間ができます。その時にお母さんたちが、待合のベンチで話をしています。はじめのうちは、親子で訓練室に入っていたおかあさんが、自動販売機で買った飲み物を手にして、外来の受付の前で話をする時間も増えてきました。そこで、似たようなタイプとか、家が近所とか来年就学とか、何らかの共通点があるひとは、2人を一緒にしてやる時間も作りました。その時に一番重要なのは、お母さん同士の相性です。上のような過程を経たことが役に立ちました。

「お母さんのための感覚統合」というファイルを作ったのもこの頃です。子どもたちの訓練を待つ間に読んでもらったり勉強会も時々行っていました。

学校の話や、お家での話を聞いていると現場に行きたいなぁという気持ちも高まります。ここではできるのに、なんで学校でできないの?ここではいい子なのに、なんで家で暴れるの? 疑問だらけです。

ある日、ダウン症の子どもの訓練を見学に来た保健師さんから、町の公会堂で講演をしてもらえませんか?というはなしが来ました。そこで、感覚統合療法の観点から子どもを見ていくと新しい訓練ができるというような話をしました。その日からずーっとその町に通っています。町と契約しているので、多分30年近くやっているのではないかと思います。保健師さんと一緒に、地域の保育園で子どもたちを見たり、保育士さんへのアドバイスをしたり、学校にいったり、お母さんの相談にのったり。当時としてはとても新しい試みだったはずです。しかし、これは月に1度だけの話。もっと、地域でなにかしたい…



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