吸血鬼と精神医学: 吸血鬼は病人だった?臨床的吸血鬼について〜海外論文の紹介〜(前編)
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。
もうすぐハロウィンですね🎃
かつては馴染みのなかったこの海外の風習ですが、いまや大衆文化として日本社会に溶け込みましたね。
「乱痴気騒ぎ、けしからん!」「キリスト教徒じゃないのに...」と批判的なご意見があるのは承知しておりますが、非日常を味わう”お祭り"は決して悪いものではありません。
昔から「晴と褻(ハレとケ)」という言葉がありますが、今の日本は”晴”すなわち非日常を味わう機会が少なくなったので、たとえ舶来のイベントであっても皆が楽しめるのであればそれで好いと個人的には思います。
(でも、ちゃんと後片付けはしてほしいですね…😅)
…ということで、今回の記事では日本の風物詩(?)となった”ハロウィン”にあやかり、舶来モンスターの定番”吸血鬼(バンパイア)”を精神医学的に解説したいと思います!
今回も記事が長くなってしまったので、(前編)(後編)に分けての解説です。
最後までお付き合いいただければ幸いです☺️
【吸血鬼とは?】
民間伝承(フォークロア)に登場する架空の怪物。
国や地域により姿形・呼称は異なるが、生き血を吸う、不死身、夜間活動する、吸血鬼に襲われた人間は吸血鬼になる(感染する)、など共通点がある。
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【小説”ドラキュラ"以前の吸血鬼】
”吸血鬼”と聞いて真っ先に思い浮かべるのは”ドラキュラ伯爵”でしょう。
そうです。痩身、青白い肌、黒いマント、白い牙…、というイメージが吸血鬼像のテンプレですが、これはアイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ: Dracula」が由来です。
1897年に出版された同小説は、ワラキア(現ルーマニア)の領主として実在したヴラド・ツェペシュ(Vlad Tepes: 後述)をモデルとしたそうですが、この小説をもとに数多くの”ドラキュラ映画”が制作されます。
そして、”十字架やニンニクを忌避する”、”鏡に映らない”といったドラキュラ映画の”お約束"はストーカーの小説(フィクション)が元ネタ…、という訳なのです。
しかし、ドラキュラ伯爵誕生以前より「血を吸う怪物」の伝承が世界各地に存在しました。
本題とは少しそれますが、手始めに”ドラキュラ以前の吸血鬼"を簡単に紹介いたします。
<吸血鬼セクメト: BC1500年以前>
有史最古の吸血鬼はエジプトの”セクメト(sekmet)”ではないでしょうか。
セクメトはエジプト神話に登場する女神であり、太陽神ラーの片目から産まれ、ライオンの顔を持ち、頭に太陽を意味する赤い円盤を乗せた災いの神です。
セクメトは父親であるラーの命に従い、堕落退廃した人類を根絶やしにしようとします。
そしてセクメトは虐殺した人間の血を啜り、自らの力に変えたそうです。
このように古代エジプトにも”血を飲む”という神・怪物の伝説がありました。
<アダムの最初の妻リリス*: BC300~AC100年(諸説あり)>
諸説ありますが、死海文書によるとリリスはアダムの最初の妻だそうです(イヴは後妻!)。
しかし、神に反いた彼女は楽園を追われ悪魔の女王となります。
リリスは乳飲み子の血を吸い、睡眠中の青年の精力を奪い取ったそうです。
ちなみにリリスの語源、リリットは「夜」を意味します。
夜に活動し、血を吸うというのはまさに吸血鬼のイメージですね。
<ヨーロッパの吸血鬼誕生: AC4世紀ごろ>
欧州で吸血鬼伝説が生まれたのは、AC4世紀のバルカン半島に住むスラブ人地域だったそうです。
スラブの民話によると、吸血鬼は血を飲み、そして銀を恐れたそうです。
そしてスラブ民話がキリスト教と出会う古代ルーマニアで、ストリゴイと呼ばれる吸血鬼が誕生します。
ストリゴイは赤毛で青い目をしており、生きている心臓と死んでいる心臓の二つをもっていたそうです。
なお伝説では、自殺者、魔女、犯罪者、偽証者、吸血鬼に殺された者、7番目の息子、胞衣(胎盤・臍帯・卵膜)をまとって生まれた者、猫に飛び越えられた死体、胎内で吸血鬼に睨まれたもの、片思いの末に結婚せずに死んだもの…、がストリゴイになるそうです。
<ヴラド・ツェペシュ: 15世紀>
前述のようにブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったヴラド・ツェペシュはワラキア公国(現ルーマニア)の君主でした。
当時のワラキア公国はオスマン帝国と対立し、ブラドは自国を守るために幾度となく帝国の侵略を撃退しました。
ヴラドは国を守る英雄という反面、敵からはとても恐れられました。
その理由は敵兵を串刺しにして処刑していたためです。
例えば”串刺しの林”は有名なエピソードで、国境に踏み行ったオスマン皇帝メフメト2世が見たものは大量のオスマン兵士が串刺しにされて、林のようにたくさん突き立てられていたのです(一説によるとヴラドは串刺しの林の中で優雅に食事をとっていたとか...)。
この様子をみたメフメト2世は戦意を喪失し、自軍を撤退させました…。
このようにヴラドの行為は残虐極まりないものでしたが、実はヴラドが人の血を啜っていたという事実はないようです。
つまりヴラドが吸血鬼ということについては疑問符がつきますが、それでも現代の吸血鬼のモデルなのであえてご紹介いたしました。
<エリザベート・バートリ: 16〜17世紀>
ハンガリー王国の貴族であるエリザベート・バートリは「血の伯爵夫人」という異名をもつ実在の人物で、東欧における吸血鬼伝説の元祖といって過言ではないでしょう。
オスマン帝国との戦争で夫を失うと、チェイテ城をはじめ莫大な財産をエリザベートは手に入れます。
そして夫の存命中から始まっていた残虐行為は、夫の死後一層激しいものへと変わっていきます。
召使いや領内の娘を監禁・拷問・陵辱し、その血肉を口にしていたそうです。
エリザベートは処女に血を浴びると若返ると信じていたため、若い女性から血を絞るための器具「鉄の処女(アイアン・メイデン)」を作らせ、バスタブに溜めた血液に浸かっていた…、という伝説がの残っています。
<公式記録に残った吸血鬼事件: 18世紀>
ここまでは”神話”、”伝説”、”民話"という不確かさを含む話なのですが、実は18世紀に入り公式記録にも残る「吸血鬼事件」が登場します。
まず1725年に起こった「プロゴヨヴィッツ事件」を紹介します。
ハンガリーに近いセルビア領キシロファ村に住んでいたペーター・プロゴヨヴィッツが死亡し埋葬されます。
彼の死後10週、不思議なことに夜な夜な村人の枕元にプロゴヨヴィッツが現れるようになります。
そしてプロゴヨヴィッツを見たものは8日以内にこの世を去ったそうです…。
臨終の間際、彼を見たという村人は「奴が忍び込んで、喉に噛み付いて吸うのだ」と証言します。
村人はプロゴヨヴィッツが吸血鬼になったと思い、墓を掘り起こしたところ、その皮膚は新鮮で、頬には赤みがさし、毛髪と爪は伸び、そして口元は血で濡れていました。
恐れた村人はプロゴヨヴィッツの心臓に杭を打ち込むと、大量の新鮮な血液が口や耳から溢れ出たそうです…。
同様の事件が7年後に起こります。1732年に軍医が記録した「パオレ事件」という吸血鬼事件です。
セルビアとトルコの国境に住むアーノルド・パオレという男が干草車で圧死しましたが、彼の死後立て続けに17人が急死したそうです。
パオレは兵士として戦線にいた頃、「吸血鬼に苦しめられている」と語っていたそうです。
吸血鬼伝説を信じていた村人は、パオレが吸血鬼になったのでは…、と疑い埋葬されたパオレの死体を掘り起こします。
すると、埋葬後40日も経過しているにもかかわらず、身体は鮮やかな血色で、髪も爪も髭ものび、血は凝固していなかったのです。
伝承に従い村人はパオレの心臓に杭で貫いたところ、死んだはずのパオレは世にも恐ろしい叫び声をあげたそうです…。
<犯罪人類学の創始者が診察した吸血鬼: 19世紀>
犯罪人類学とは、犯罪者の生物的特徴の共通性を抽出してプロファイリングする学問です。
イタリアの精神医学者チェーザレ・ロンブローゾは、「生来性犯罪人説」という概念を提唱しました。
要するにロンブローゾは「犯罪は遺伝や生物学的要素によって起こる」と考えたようです。
ロンブローゾは自分の学説を証明するために多くの犯罪者を診察・分析していきますが、その中でも最も興味深い症例の一つに「吸血鬼 ヴィンチェンツォ・ヴェルツェーニ」がおります。
ヴェルツェーニはイタリアの殺人鬼で2人の殺害と6人の暴行で有罪判決を受けますが、犯行のやり口が「吸血鬼」そのものであり、相手の首に噛み付いて血を吸う、殺害後に死体をバラバラにして血や肉を食す…、など残虐な行為を繰り返したそうです。
1873年遂に逮捕されたヴェルツェーニは精神医学者ロンブローゾの精神鑑定を受けます。
ロンブローゾはヴェルツェーニを「性的サディスト」「屍体愛(ネクロフィリア)」と診断しました。
… いかがでしたでしょうか?
今回紹介した”小説「ドラキュラ」以前の吸血鬼"は、数ある吸血鬼話のごく一部に過ぎません。
(似たような話は東南アジアや中国、そしてアフリカなどでもあるようですね)
最初は神話であった吸血鬼も時代が変わるにつれ、オカルト・狂人として扱われていくことがよくわかります…(何だかスケールが小さくなっていきますね😅)。
そして今回は紹介しませんが、小説「ドラキュラ」以降、吸血鬼は恐怖ではなくエンターテインメントとして消化されるようになり、世界各地で「新しい吸血鬼話」が誕生します(ネタとされている?)。
こうなるともはや「吸血鬼」は伝説から”大衆文化"に変身したと言えるのではないでしょうか。
↓秋の夜長に小説「ドラキュラ」はいかがでしょうか?
【吸血鬼は病人だった?】
それにしても何故昔から世界各地に吸血鬼伝説は存在するのでしょうか?
しかも不思議なことに、時と場所を異にしても吸血鬼の特徴はいくつか共通している点がございます。
勿論一つの”吸血鬼物語”が形を変えずに徐々に世界に広まった可能性はありますが、冷静になると人々はなぜこのような"与太話"を信じたのでしょう…。
心理学の泰斗カール・グスタフ・ユングが唱える”Archetyp"まで言及するのは小生の力不足なので、別の観点から説明しましょう。
大昔は科学が発達していなかったため、吸血鬼をはじめとする迷信が信じられやすかった…、という背景は十分承知しておりますが、小生は吸血鬼誕生の理由を...
と考えております。
そして察しの良い方はもうお分かりと思いますが、おそらく吸血鬼のモデルは、当時は原因不明であった「病気」にかかっていた人々では…、と小生は推測しております。
すなわち「吸血鬼は病人」だったのではないでしょうか?
…ということで、ここからが本題(いつも前置きが長くてすみません...)。
吸血鬼のモデルとなった”病気”をご紹介いたします!
↓吸血鬼と聞いてトマトジュースを思い浮かべるのは小生だけ?
【吸血鬼と病気】
<吸血鬼の特徴>
これからご紹介する医学文献等を参照するにあたり、吸血鬼の特徴を知っておかねばなりません。
そこで理解しやすいように吸血鬼の各症状を以下のようにナンバリングして各文献で紹介していきましょう!
<吸血鬼と狂犬病>
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