北村透谷私論(2)
〈理想詩人〉は様々な葛藤に苛まれるが、それは問題意識を〈霊魂〉の次元において葛藤するからである。
『厭世詩家と女性』
・「エマルソン言へる事あり、尤も冷淡なる哲学者と雖恋愛の猛勢に駆られて逍遥徘徊せし少壮なりし時の霊魂が負ふたる債を済すこと能はずと。恋愛は各人の胸裡に一墨痕を印して外には見ゆ可からざるも終生抹する事能はざる者となすの奇跡なり」
『心機妙変を論ず』
・「神の如き性人の中にあり、人の如き性人の中にあり此二者は常久の戦士なり(中略)神の如き性を有つこと多ければ、戦ひは人の如き性を倒すまでは休まじ、休むも一時にして程経れば更に戦わざる能わず人の如き性を有つこと多ければ終身網網として煩ふ所なく想ふ所なく憂ふる所なからむ。この両性の相戦ふ時に精神活きて長梯を登るの勇気あり、闘ふこと愈多くして愈激奮し、その最後に全く疲廃して万事を遣る、この時こそ、悪より善に転じ善より悪に転ずるなれ、この疲廃して昏睡するが如き間に」
・「大知、大能、大聖は人間界に庶幾すべからず、然れども是を以て人間の霊活を卑うするところはなきなり(中略)善鬼悪鬼美鬼醜鬼、人間の心池に混交し乱戦するを以て人間なるものの他の動物と異なる所を見るべし」
これらのほかの箇所でも透谷は熱心に心の問題、中でも〈霊魂〉の問題としてほぼ全てを捉え直していく。
『心の経験』
・「人間の生涯は心の経験なり。心とは霊魂の謂にして人間の生命の裡の生命なり(中略)心は自己の意志を有するが故に生命の裡の生命たるを得るなり。自ら画きて自ら視るものは心なり(中略)心の大なる使命は外なるものと交通するにあり。神の霊との親しき関係は心の奥の秘宮に於いてあり」
〈霊魂〉の問題、その活躍発展の為の〈霊活〉が主題としてありこれらを以て日本の浪漫主義は始まるのだ。このスピリチュアリズム=心霊主義がキリスト教と共に北村透谷という男の身に宿って一時代を作ったのである。