春の明るさ
凍えてしまうほど寒い冬を抜け、春は明るくなった。僕は未だに家を持たなかった。(2021/05/22)
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1
とても長い時間、蹲っていたと思う。僕がある日、得体の知れない生き物になってから、家を飛び出し千鳥足で辿り着いたのは繁華街の裏路地だった。そこには安心感があった。
誰もいない静寂の安心。誰か来てもきっと察してくれる。
僕はそこで生きていける気がした。でも、蹲っていた。
僕には鳴き声があった。繁華街のガヤガヤしたお店の音はもしかしたら僕のようになってしまった人が鳴らしているのかもしれない。声帯を震わせて、不思議な声を出す。吸い寄せられるように人が集まってくる。人が集まってできた熱気に僕はクラクラした。そのまま頭をもたげ、地面に擦り付けるように、ねじ込むように傾け、今にも下半身が浮いてしまうのではないかという不思議な感覚に襲われながら、見方によってはヨガのポーズのような姿勢でだるそうに声だけ出していた。熱気はさらに増す。僕が人間だった時は、こんな世界は知らなかった。僕は一体、どんな堕落をしたのだろうか?
2
元はと言うと僕は森の中に住んでいた。そこにもまた得体の知れない生き物は居た。その当時読んだ本によると、得体の知れない生き物は森の中から繁華街まで至る所に居るらしく、それぞれの生き物の好みがあって棲み分けられているらしかった。だから僕がなってしまった生き物と、僕が見てきた生き物は全く別の生き物だった。
森にいた生き物はとても可愛かった。色がくっきりしていて、ふさふさしていた。僕の方へ自ら寄ってきて、飛びついてくる生き物も居た。本によると、森と繁華街を両端としてスペクトラム状に、様々な生き物が居る訳だが、繁華街側に近づけば近づくほど、その生き物達は他者と関わり合う力を失うみたいだった。ほとんど廃人のように、不思議な姿勢で不思議な音を発しているそうだった。その事は人間だった当時の僕には単なる不思議だった。そして、森の生き物のように人格的な愛らしさから、繁華街のように雰囲気を作る、能力的なかっこよさまであるように思えた。どれが良いとかは無かったけれど、森の生き物の方が関わりやすそうだなとは思っていた。ずっと僕は、先祖代々、森で暮らしてきたからだ。
3
どうも生き物には争いが無いようだった。いつも友好的か、いつも退廃的で、個々の役割を全うしていた。他の生き物と関わり合わないのかとても不思議だったが、研究者によると、同じゲージに入れてもお互いに無視してるという。
人間達は両極端だった。かつて僕がそうだったように、自分の暮らす街の生き物には優しく馴染みのない生き物には厳しかった。生き物は時折、馴染みのない町へ移動する。その時には人間は驚いて、少し見なれない振る舞いがあれば批判した。
様々な生き物に友好的な人間は居た。逆に全ての生き物に厳しく当たる人間も居た。しかし人間は、ほとんどの場合、周りの目を気にしていた。人間に認められた居場所があれば、生き物の安全は保たれた。
人間が生き物に変化する例も沢山あった。多分思う。生き物になりうるポテンシャルがある。きっと少しばかり浮いていた人間達。僕もきっとそんな人間の一人だったと思う。
4
どのような存在であれ、世界を知るには知識が要る。知識は事実であり、重なり合って予想する。未来を防いだり目指したりしながら明日を知る。生き物である今の自分もその事は分かる。非常に生物的であれど、生き物なりに望むものがある。
もし仮に人々が全てを失っても同じだと思う。それは永劫、続いていく。しかし幾らかの人間は、一定閾値で混乱する。どうにもならなくなると過去を参照する。同じミスを繰り返す。昔の王様が、打つ手なしになる人々の苦しみを緩和しようと一定レベルになった人間は、自動的に得体の知れない生き物になるようにしてしまったらしい。架空の話だけれど、王様ごときにそんな特別な力があると教わってきた。そして、僕は実際にそうなった。
そんな状態でも僕は、死にたくないと強く思う。得体の知れない僕は、殺される恐怖に怯える。生態が変わってしまえば、自らの健康がなんなのか全く分からない。異なる種族の人間からやられるかもしれない。だから本当にきっと本能的に僕はこの得体の知れない生き物としての生活を考えている。そして僕は未だに蹲って、繁華街の喧騒の欠片になっていた。
5
本当にとてつもなく長い時間蹲っている。本当に正確に表現するのなら、もたげた先に闇という感じだと思う。とても感覚的な話になってしまう。とてつもない廃人になってしまったみたいだ。
喧騒はまた僕には何も影響を与えない。だから絶えず等しい喧騒であり続ける。ここが居場所のような気がする。でも常に、命の危険を感じる。あの頃はどうやって、生きていたのかな。森の生き物たちが懐かしいなって思った。
ねぇ、聞こえる?
そんな声が頭の中に響いた。それと同時に自分にはまだ頭がある事を自覚した。
うーん。なんだろう。
答えにならない言葉を返す。
あの時の僕だよ!
また声が聞こえる。
それが僕自身なのか、それともあの時抱きついてきた森の生き物なのか、僕が人間だった時にどこかで出会った誰かなのか、何も分からないまま、しかし彼らに対して共通して感じた心だけが浮かんできて、僕は僕の愚かさに気付いた気がした。
それからしばらく、声を出しながら項垂れていた。得体の知れない生き物として、当たり前に振舞った。
頭は回転していく。周囲の喧騒も入れ替わっていく。元に戻れる気がして目を開いた。怖くてずっと閉じていた目で、僕は僕を知った。
回想1
ある冬の事、僕は森の中でクリスマスの準備をしていた。鉢に植えられたツリーは年々大きくなり、その成長と共に僕も大きくなっていく。ツリーのあの高いところまで来年も手が届くことを願っていたり、それを確かめるような楽しみが毎冬あった。
飾り付けをすると、森の生き物たちがやってくる。この世界の生き物は、同じ存在は一つとして存在しない。だから、似ているとかはない。よくこんなに個性があるなと驚かされる。人々の想像は王様の創造に及ばない。
綺麗に飾って、満足していると、決まってある生き物が話しかけてくる。名前はキュー・インチュという。生き物には性別はなく、失礼を承知でみな、それと呼ぶ。
それは、決まってこう言う。
とても綺麗に出来たね!
僕は嬉しくて、
うん!
と返す。するとキュー・インチュは、みとれたようにツリーを眺める。これは冬の話。キュー・インチュは優しかった。
回想2
僕が得体の知れない生き物に変わってしまう直前にも、僕は蹲っていた。自分の部屋で不貞腐れていた。何となくストレスが溜まっていた。
合計で200時間は蹲っていたと思う。とても退屈に時間を消費していた。一つの事に囚われ、複雑に考えた。すると頭の中に光が差し込む感覚に見舞われた。僕はとても驚いた。突然の事だった。
実際にその光が差し込む感覚によって、僕は得体の知れない生き物になってしまったのである。
気付いたら、路地裏に居た。夕日が差し込む部屋の窓と、その外からの生き物の声に風情を感じた記憶が残っている。不貞腐れた女々しい心はとても穏やかだった。
6
目を開くと、世界が明白になり、僕は自信を得た。春が始まった時の解放感に似ている、変化の受容が起こったような気がした。
今日は少し勇気を出してみようかな!と思った。
春の日差しが差し込む。大切なものを沢山失って、こんなになってしまっても心は希望に満ちていた。
路地裏から出てお店を探した。
新しい服を着ないといけませんね。
お店に入って服を選ぶ僕。選んだ服を着てみて鏡の前に立つ。真実が少しだけ見える。
形が変わってしまって、過去を悔やんでいる。
そんな事実を忘れさせるほど明るく振る舞える、まるで春の日差しのように生きていきたいと心から願い始めた。
こうしてどこかで僕を鼓舞してくれる心の働きは、過去の僕が作り上げてきたものなのかもしれない。
服を買い、今度はお店の前の通りに座る。
そしてまた僕は喧騒の欠片となった。
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お久しぶりです。しばらく何も書いていませんでしたが、時間と意欲があったので書いてみました!
読んでくださりありがとうございました!
良き生を!