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28日目

毎日の課題 集計結果(ポモドーロテクニック採用 目標:12p/day)

英語、ドイツ語訳、日本語、執筆、ウォーキングも順調、スペイン語が遅れをとったのだが、今日も「スペイン語できなかった!」と書きたくなかったので、意地でもこれを書く前に形容詞のおさらいをした。よくやった!自分!というか、めっちゃ追い込んでる。noteのおかげでやっと28日続けられたよ。(今日は読書の時間がナンプラになってしまったが)

合計は11p。読書しなかったから……。寝る前にちょっとしよう。

今日考えたこと:

私は一体毎日どこへ行くために生きているのだろう。ものを書いているのだろう。

ものを書いていなくては死んじゃう、というところまで来た。でも、自分が一体どんなものを書いているのかわからない。

人のために書いているのではない。それは言える。書いている時、どこかの誰かさんや、友人や人に読まれることを考えながら書いているのではない。

明日の自分のために書いている。

今日は書かないと今日を生きた実感がしないし、今日それなりに生きたことを明日の自分が知るために、このページはある。

毎日毎日書くだけで生きていられるのは、生き長らえるというのは、簡単である。でも、何をどう書くかによってその生き様が変わってくる。

一番いいのは自分を書くことだ。でも書くことは偽りでもあるので、偽りを書き続けていると辛くなることがある。

だから、自分の好きなものだけを書くといい。

でも、そうすると「自分の好きなもの」を探すことになる。もともと得意なものや、長年続けてきた好きなものがあれば苦ではないのだが、「好きなもの」が(自分にも当てはまるが)わからない人には「好きなもの」を求めるのが苦痛でしかない。

別に「好きなもの」がなくても生きてはいけるのだから。

ただ、「好きなもの」がないと、自分を大切にできない。好きなもののために人は生きられるのだから。

ということは「書くこと」で生きている私にとってそれは「好きなこと」なのだろうか。

そうなのかな。書くことによって自分の醜いものを見せられることが多々あるからそんなに「好き」ではないと思っていたけれど。

でも、文字を書くことは好きだ。

自分の中に浮かんだ言葉を文字にしていく。私の体の中に詰まっている言葉をノートに生産していく。

私の血と肉、そして感情。これが全て文字で表せられるなんてすごい。感動だ。

そうか、私は毎日感動するためにものを書いているのか。


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