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世界一、最悪で最高な仕事

真っ暗な冬のヨーロッパの朝6時、目覚ましアラームがなり、止めたあとスマホ画面の日付がぼんやり目に入りました。

2月11日。

なんだっけ、なんだっけ、何かの記念日な気がする。古い友人の誕生日?あ、建国記念の日か、でもオーストリアは祝日じゃないしな、なんだっけ。

あ、そうだ、今日はInternational Day of Women and Girls in Science(科学における女性と女児の国際デー)だった。

科学、技術、工学、数学(STEM)分野は各国の経済にとって重要であると広く認識されていますが、これまでのところ、国の発展の度合いに関わらず、ほとんどの国でSTEM分野の男女平等は達成されていません。この日は、女性や女児が科学に完全かつ平等にアクセスし、参加できるよう促進する機会です。また、女性や女児が科学技術コミュニティで重要な役割を果たしていること、そしてその参加をさらに強化する必要があることを再認識する日でもあります。

国連ウェブサイトから抜粋翻訳

どの分野においても、ジェンダーギャップは存在しますが、科学技術分野では特に顕著であることは、周知の事実かとは思います。

例えば、ノーベル賞受賞者の数。

物理の分野では特に顕著で、1901年から2023年の間、受賞者225人中女性はたった5人。これはどう解説したら良いのでしょうか。

私は科学者ではなく、むしろ理系分野は苦手意識がとにかく強く、極力避けて生きてきた人間でした。が、なんのご縁か、ここ10年近く科学技術を専門とする大学や研究機関で、マーケティングや広報分野での仕事をしてきました。

私が科学者という立場でなくとも、教授やポスドク、学生など多くの科学者の女性達と接する機会があり、科学技術の分野での女性の活躍というのは、私の密かなミッションとして、日々の仕事に忍び込ませて業務にあたってきました。

例えば、ポスターを全員女性にしてみたり。

ウェブサイトに女性科学者をターゲットとしたページを増やしてみたり。

女性科学者や学生のインタビュー記事・動画の作成、最終的には女優さんを起用したストーリー仕立ての5分程度のブランディング動画もにわか脚本・監督として手がけたり。

数年前には、この日を記念したオンラインセッションを設け、元・米国国立科学財団(NSF)女性理事長を筆頭に、女性研究者、博士課程学生とのパネルディスカッションを開催したりも。

そして、現在所属する研究機関でも、2月11日当日、女性教授をパネリストとして迎えたイベントが開催されました。

私は出席者として参加登録し、セミナー会場に向かうと、ずらり並ぶ私の働く研究機関の10人の女性教授たち。

まだ入りたての新任教授から、研究科長として勤めるシニアレベルの教授まで年齢や経験もまちまち。研究分野も、物理、化学、生物、コンピューターサイエンス、脳神経科学などバラバラで、さらには国籍も多様性に富み(むしろオーストリア人がいない)、もちろん、家族構成だって独身、既婚、子ありなしなど誰一人同じような教授はいませんでした。

「これから聞く話、考えは彼女たち一人ひとりのものであり、何が正解というわけではありません。これは彼女たちの人生で、彼女たちのストーリーです」という司会者の紹介からスタートし、事前に集められた質問やトピックに基づいて、発言する教授たち。

男性優位の研究者の世界を非難するのではなく、ただただ、彼女たちが経験してきたこと、そこから見つけた彼女たちなりの解決方法だったり、答えだったり、サバイバル術だったりが、ジョークをはさみつつ笑いありの穏やかな雰囲気で紹介されました(そしてすごくうれしかったのは、参加者のほぼ半数が男性だったこと)。

また、この10人中4人は、教授としてではなく「ママ友」として知り合った人たち。同じ幼稚園に子どもたちが通っているのです。こうやって改めて教授としての顔で話す彼女たちの話を聞くのは、とても新鮮で、そしてぐっとくるものがありました。

そのうちの一人の教授が言っていて、周りの教授も同意し、印象に残っていたのは「教授職(PI)としての仕事は、世界一、最悪で最高な仕事」という一言でした。

基礎研究の世界では珍しく、予算が割と潤沢につく私たちの研究機関では、教授たちは、誰の指示に従うでもなく、自分の好奇心だけに基づいて、プロジェクトを決め、自分が気に入った人を雇い、学生を教え、学会に参加し、論文をパブリッシュしています。

これだけ自由と裁量があり、自分が一番熱意をもってやりたい研究に没頭できる仕事なんて、世界中で見ても稀な仕事で本当に最高なんだと。でも、長時間労働、そして基礎研究で絶対的に必要な、まだ人類で誰も発見していないことを常に発見し続けなくてはいけないことに対するプレッシャーはとんでもないものがあるようです。

また、基礎研究は、科学の真理を見出すものなので、応用科学と違って、明日から急に役立つものなんてほとんどありません。もしかしたらもしかしたら何世代後に何かの開発で、この研究結果が使われるかもしれない、くらいのものが多い中、自分のやってることに対して、これは重要な研究なんだと自信を持って進めていくってものすごい力だと思うんです。

世界一、最悪で最高な仕事。

それって私にとっての母親業にも当てはまるなあ、としみじみ感じます。

自由と裁量の観点から見ると、どう子育てるするかは(夫と相談しつつも)自分次第だし、仕事と子育ての優先順位やバランスの取り方だってある意味、自分に任されている。そして、長時間労働。深夜早朝構わず24時間体制。答えがない毎日。失敗だらけの毎日。誰よりも大切な人間を目の前にしているからこそ感じるプレッシャー。この子育ての結果、社会に対する影響なんて、自分が死んでからだってわからない長期目線…

じゃあその世界一最悪で最高な仕事(教授業と母親業)を掛け持ちしているママ友たちってどうなっちゃうんだ、とも思いますが、妙なところで自分との人生に共通点を感じてしまうのでした。

そして、やはり私の中でたどり着くのは、あの、いつもの質問でした。

私の夫は幸せなのだろうか?

既婚の教授のほとんどは、彼女たちのキャリアを優先して、ここにたどり着きました。学歴も能力も全く違う彼女たちと、私とのもうひとつの大きな共通点はそこでした。

普段、物事が割と上手くスムーズにいっているときは、忘れてしまうのですが、夫があまり元気そうじゃないとき、私が元気じゃないとき、私の出張が続いてお互い疲弊しているとき…やっぱり不安になるのです。

夫はもちろん独立したひとりの人間なので、彼の幸せは彼が追求するものだとは分かっていても、どこかで責任を感じることも多々。

先日、改めて夫に最近の様子を伺ってみました。

日々の仕事と子育ての両立は大変は大変だよ。なかなかルーティン化しないしね。でも経済的に困窮しているわけでもないし。

うーん、そういうことじゃないんだけどな〜、日々ハッピーに過ごせてる?ってことなんだけど…

他に大変な人はいっぱいいるし、何をもってしてハッピーか人によって違うしさ〜

いやいや、他人との比較とかじゃなくて、「あなたが」ハッピーかどうかなんだけど…

.....

と、こういう会話になると、うまくコミュニケーション取れないのはうちだけではない気がしますが、うまく聞き出せないまま会話は終了してしまいました。

思いがけず、科学における女性と女児の国際デーから家族の幸せについて考えることになりましたが、これは当面のテーマなんだろうと思います。

科学に限らず、歴史的に女性のフィールドでない、子育てや家庭のケアを超えた仕事をするとき、必ずつきまとう罪悪感。

70点の出来の妻
70点の出来の母親
70点の出来のキャリア

夫に対して、子どもに対して、仕事に対して、常に負い目を持ちながら過ごす日々。

全部足したら210点なのだから、もう2人以上分の努力になるんだろうけど、やっぱり目に付くそれぞれマイナス30点。これも自己評価ですが。

逆に夫が自分のキャリアを優先しても、夫は「妻は幸せだろうか」とか不安にならないだろうし、出張や残業続きでも、罪悪感持たないんだろうなとも思うので、自分も正々堂々としていればいいじゃないか!とも思うのですが、それがなかなか難しい。

自分の中で、ストンと腑に落ちすっきりするまで、時間をかけるしかないとも思いますが、この葛藤がきっといつか実を結ぶことを願いながら、今日も慌ただしい1日のスタートです。

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