海外移住 | 人生軽くうまくいきそうに感じた日
こんにちは、オーストリア在住のKayと申します。今週は、移住1周年を迎える週です。
長かったのか、短かった1年なのか、本当によく分かりません。あまりにも色々ありすぎて、すごく自身が変化し、全くの別人になったような、でも根本は変わっていないような不思議な感覚です。
仕事柄、ヨーロッパ各国を割と頻繁に出張するのですが、1周年を迎えるタイミングでスイス→イギリス2都市、計3都市を訪問しました。
スイスは初めて訪問する都市でしたが、イギリスの2都市のうち1都市はロンドンで、ここは私が大学院進学し、修士号を取得した思い出の街。
これらの街を訪問しているうちに、なんだか人生なんて軽くうまくいくんじゃない、くらいな感覚に陥っています(笑)
それはなぜか。
スイスの大学で見えた青空
スイスのある大学を仕事で訪問し、日本人学生と出逢いました。
面白いことに、私たちはお互い日本人と気付かず、英語で話し続ける始末。彼の英語がフランス語訛りだったので、アジア系の2世かなくらいに思っていました。
この学生も同様、私がアメリカ訛りの英語を話すので、アジア系アメリカ人かな、くらいに思っていたのでした。お互いの誤解の仕方が興味深い(笑)
「あれっ、日本人じゃん!日本語話せるじゃん!」となった瞬間の急激な心理的接近から、お互いの身の上話をしていると、彼のお父さんの仕事がきっかけで10歳の時に一家で移住し、今に至るとのこと。フランス語ゼロで来て、もはや今は第一言語がフランス語で、ヨーロッパでもトップの大学で勉強をしています。
瞬間的に考えたのが、自分の息子と娘。
そうか、今まで考えもしなかった進路が私の子どもたちには選択肢としてあるのかもしれない。オーストリアに来なかったら、ちらりとも思い浮かばなかった選択肢が。
このまま、ヨーロッパに住み続ければこんな風に成長するのかしら。ドイツ語訛りの英語と日本語になっちゃったりして。それはそれで楽しそう。
日本語も英語もフランス語訛りのこの学生は、拙くなった日本語で私を「おねえさん」と呼び続け、可愛らしさに、心のなかで吹き出していたのですが、優秀な大学で頑張っているのだなあと思うと、頑張れー!と応援したい思いでいっぱいです。
そして、翌日スイスから発つ日の早朝、アルプスの澄んだ空気を気持ちよく吸い込みながら、スーツケースを引き、広大なキャンパスを駅に向かって歩いていました。
ふと空をみあげると、信じられないくらい空が広くて、高くて、美しくて、そこをツーっと軽やかに飛行機が横切るのが見え、
世界は広いぞーー!可能性は無限だぞーーー!
と、誰にでもなく、大声で叫びたくなったのです。
ロンドンのパブで飲むギネス
今から10年以上前、20代半ば、修士号取得のためにロンドンに単身引越してきました。当時、独身でした。
今回、ロンドンに来るのは5年ぶり、コロナ直前に前職で出張に行ったのが最後。
相変わらずロンドンのホテル事情は最悪で、今回泊まった世界に系列があるホテルでさえ、なんと10平米程度の部屋で一泊200ポンド超え。部屋に入った瞬間つい、Are you kidding me?(冗談でしょ…)と声にでてしまうほどの部屋の狭さ。
スーツケース開けないし、窓は刑務所かっていうくらい小さいし、窓からの景色は隣の建物の壁だし、部屋に椅子すらないし(置くスペースなし)、一応2人まで滞在可の部屋のはずなんだけど、それって違法レベルじゃ、っていうくらいです。
外食も高いので、朝ごはんで余分にもらったパンとハムで昼ご飯を凌ぐという、学生の頃を思い出しました。
地下鉄もそろそろ新しい車両入れたほうがいいでしょ、というくらいボロボロ。激しく軋む線路の音、車内瞬停などなど、銀座線開通当時くらいの雰囲気です。
ただ、このエピソードを当時の戦友とも言える、日本人同級生にシェアすると、
「そんなトラブル話でさえうらやましい!」
との返信が。
当時、私たちはみんながむしゃらでした。
勉強も、遊びも、恋も、旅行も、めちゃくちゃして、未だにどこにそんな時間あったんだ、って思うくらい、ぎゅうぎゅうに詰まった1年でした。
そして、全てが刺激的すぎて、死ぬほど笑って泣いて怒って苦しんだ1年だったのですが、どこかで「人生軽くうまくいく」ってみんなが思っていました。
ありえないほどのポジティブさと、無謀さと、純真さと、世間知らずさを持ち合わせていた私たちが集まり、とてつもなく強い友情関係を築いていました。
そんな街ロンドンに戻って、パブで大好きなギネスビール片手に一人乾杯をすると、程よく酔いもまわり、人生軽くうまくいきそうな気がしてしまうのです。
全て変わったけど、変わらないもの
あれから、自分もロンドンで共に過ごした友人たちも、家族の構成、住む場所、仕事全てが変わり、未来予想図はことごとくはずれました。
当時これ以上仲良し夫婦はいない!と思っていた友人夫婦は離婚したし、堅い省庁勤めだった友人は、思い立ったら吉日というのを体現するが如くものすごい勢いで転職したし、めちゃくちゃ成績優秀だった友人は専業主婦になったし、私はまさかのオーストリア移住しました。
ロンドンでは、失敗もしまくったので、当時ほどの無謀さはなくなっているし、慎重になることも多くなりました。
でも、親しんだ街を歩いていると、あのとき怖いものなしでギラギラしていた自分と道でばったりすれ違うような気がして、その幼さからくる無謀さに目を覆いたくもなりながらも「人生軽くうまくいくって信じててもいいよ」と、当時の自分に声をかけたくなるのです。