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日本と海外の起業意識の原因を紐解く!~起業は現代社会の働く選択肢~

皆さん、こんにちは。

私は幼稚園から中学2年生のときまでアメリカで過ごし、その後日本に戻ってきました。その後日本国内で大手電機メーカーに就職し、営業の仕事をしていたところから起業して、独立しました。

このような経緯もあり、私は、「日本と海外の違い」という観点に人一倍敏感なのですが、特に「起業」というものがテーマになると、とても関心が高いです。

そこで今回は、「起業」というものに対する、日本と海外の考え方の違いについて、私なりに綴ろうと思います。

日本と海外の起業に対する考え方

単刀直入に言うと、日本と海外では起業に対する考え方に大きなギャップがあります。

厚生労働省「雇用保険事業年報」によると、日本における開業率(既にある企業の数に対する、新たに開業された企業の数の割合)は、2001年から2015年にかけて5%前後だそうです。

一方で、英国やフランスの開業率は13%前後と、統計方法の違いを加味しても、日本よりも倍以上も起業が盛んであるといえそうです。

また、国際的な起業に対する意識調査では、「周囲に起業家がいる」「起業するために必要な能力がある」などいずれの項目においても、日本の回答割合は欧米諸国に比べて低く、日本の起業に対する意識水準は欧米諸国に比べて低くなっています。

また、前述の意識調査で「周囲に起業家がいる」「周囲に起業に有利な環境がある」「起業するために必要な知識、能力、経験」のあるの三つの項目いずれについても「該当しない」と回答した人を「起業無関心者」と定義すると、全体に対する起業無関心者の割合は日本は6割以上に対し、欧米諸国はいずれの国も4割以下になっています。

このことからも日本では「起業」という選択肢をそもそも持っていない人が多いことが分かります。

では、このような意識の違いは、一体なぜ生まれるのでしょうか。

日本と海外の教育の違い

起業に対する意識の違い、その原因は、「教育」にあると、私は考えています。

そもそも、現在では当たり前になっている「子供が学校に集まって教育を受ける」という教育のやり方は、ヨーロッパが発祥だとされていますが、この教育が誕生する以前は、子供は家業の手伝いをするか、親がつけた個人教師(今でいう家庭教師のようなもの)から教育を受けるかのどちらかという状況でした。

そして、この「家業か個別教師か」という教育から「学校で教育を受ける」という教育に変わった大きなきっかけが、産業革命です。

産業革命により、大規模な産業が発達すると、「資本家」と「労働者」という階級が生じ、少数の資本家を支えるために大量の労働者が必要になりました。
そして、この労働者には、工場などで生産性を発揮するために、文字が読めることや、数字を扱えるなどの画一的な能力が必要だと考えた国家が、優秀な労働者を育成する目的で、子供を学校という場に集めて均一な教育を施すという、現在のような学校教育の原形ができました。

学校教育が労働者を育成することを目的としている以上、その教育を受けて育った子どもは、必然的に労働者を志すことが多くなり、資本家を志す子どもは少数派になります。

すなわち、産業革命以来発展してきた資本主義の社会では、少数の資本家が大勢の労働者を雇い、自らの資本を増やすために働かせることで成り立っています。
そのため、日本をはじめ資本主義を採用している国家は、国家の存続のために労働者を育成する方針をとることになります。

ヨーロッパで始まったこの学校教育の制度、今でも日本社会にしっかりと根付いていますが、いつまでも旧態依然としているわけではなく、欧米諸国では時代を追うごとに徐々に改良され、当初のものとは大きく変化しています。

そこで、日本と欧米諸国の教育の違いについて見てみましょう。

日本と欧米諸国の教育の違い

まず、日本の教育は、「工場のマニュアルをそつなくこなせる労働者の育成」が大前提なので、全員が同じレベルに育つことを目指します。
そのため、合格するまで何度もテストしたり、全教科の成績をまんべんなく伸ばすことを目指したりするなどの特徴があります。
成績が一定のレベルに届かなかった生徒に対して補修を行ったり、厳しい校
則に反した生徒に対して指導を行うことも特徴の一つです。

また、生徒が所属するクラス・教室が決められていることで、常に生徒同士で行動を共にすることになり、企業でチームとして成績を残していくうえで必要な協調性が養われていきます。

日本のこうした教育は、ときに、暗記や知識の詰め込みだと批判されることがあります。

一方、欧米諸国の教育は日本の教育のように「教える」というより「生徒一人ひとりの可能性を導き出す」「個々の力を伸ばす」ということが前提です。
そのため、日本のように全員が同じレベルを目指すのではなく、生徒それぞれの能力に合わせた教育を行うのが特徴的です。
できないことを叱ったり注意することよりも、それぞれの能力や才能を伸ばすことに重点をおいています。
特定のクラスはなく、取りたい授業を生徒が選択して取る形式が多いです。

また、海外では考えて導き出すことを重視しており、学校から課される課題も、決まった回答があるものよりも、いくつもの答えがあるような問題が課されます。暗記する力よりも、生徒自身の自主性・主体性を尊重した教育といえます。

どちらの教育も良い点・悪い点がありますが、起業という点においては欧米諸国の教育が適しているのではないでしょうか。
生徒の自主性・主体性を尊重することにより「リーダーシップ」が、自分で回答を導き出すことを通して「問題解決能力」が身に着けられます。
どちらも経営者にとって必須な能力です。
逆に日本の均一的な能力を持つ人を育てる教育は、労働者向けの人材を生み出していると思います。

起業という選択肢

「日本教育は優秀な労働者を育てることに特化した教育である」ということが、顕著に現れているのが日本の大学生の会話です。
彼らに「将来どうするの?」と聞くと「〇〇会社に就職したい」という人がほとんどで、「起業したい」という人は少数派のように思えます(今ではかなり増えてきているのかなと思いますが、それでもやはり、少数派ではあります。)
企業に就職してサラリーマンとして働くことが一般的な進路となっており、起業という選択肢をそもそも持っていない人が多いです。

そのような日本の現実を見て、私はもっと起業という選択肢が一般的になればなと思っています。

起業は転職理由を解決しうる

転職を通じてより良い労働条件や環境を求めることはよいのですが、転職では資本家に雇われている労働者であり続け、そもそも転職したいと思った理由が根本的には解決されないことが多いように思います。

大手転職サービスが調査した転職理由ランキングでは、1位が「給与が低い、昇給が見込めない」、2位が「昇進・キャリアアップが望めない」、3位が「社内の雰囲気が悪い」など、給与や労働時間などの労働条件に関するものと、職場の人間関係に関するものが目立っています。
給与に関して言えば転職により一時的なアップは見込めますが、企業から支給される給与は、転職前に思い描いていた理想の生活を送るには足りないことが多いです。
職場の人間関係に関しては、企業に雇われて働くうえでは従業員は拒否するだけの正当な理由がない限り業務命令に従う義務があり、一緒に働く人を選べません。転職先の人間関係が良好であるかは、働いてみないとわからないという、ある種運頼みとなっています。

そのため、「転職したいと思った理由」が、本当に転職によって根本解決できるのかというと、疑問符がつくケースが多いのではないかと感じます。

私がこのように感じている背景には、大手電機メーカーで営業をしていたところから起業し独立した経験があります。
当時の私は、企業内で成果をだし出世していた父の姿を見ていたこともあり、大企業に入り出世することが人生の幸せに繋がると思っていました。
しかし、当時の私は飲み会で「私の人生は、悪くはない」と言っていました。
営業としてがんばっていたので会社でも尊敬され、大企業だったので給料も一般の人よりは多く、「悪くない」をポジティブな意味で使っていました。

そんな時に当時の妻のつてで若くして活躍されている経営者の方々と出会いました。
0から起業してきた彼らは、自分と歳が離れていないのに人間的に厚みがあり、世の中に貢献している対価として経済的にも祝福されていました。
また、彼らと一緒に働きたいという仲間が集まっていたため人間関係も良好で、何より仕事が死ぬほど面白いと言って生き生きと働いていました。
その姿をみて自分の理想の人生を本気で考えた時に、一生「悪くない」といって労働者として生きるよりも、「この人生が最高!」と言えるよう、理想を本気で実現しようと決めて起業という道に踏み出しました。

まとめ

企業に雇われて働くこと、起業して自分の看板で勝負していくことのどちらもいい点・悪い点があると思います。どちらもそれぞれ素敵で素晴らしいと思います。
私は決して、「会社員」という生き方に対して否定的なのではありません。しかし、日本では「起業」という選択肢を知らないままに「会社員」という道を歩んでいる方が多いことには、少し問題意識を感じています。

会社員か、起業するか。
どちらを選択するかは本人次第ですが、全員が双方を選択肢としてもった状態で、働き方を選択できるように。
それが、今の私が思い描く理想でもあります。

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