毒親って喚けるのは甘えかもしれないと初めて思った日



今日ならではの特番・記事・動画を

たくさん見てきた。

こんなにも、と毎回 言葉を失った。




親、兄弟、友達が欠けてしまった人達の話を聞いてようやくわかったことがある。

毒親、毒家族って喚き散らしてる自分は、

うまく甘えられないよ、
甘えさせてくれないよ、って駄々っ子してる

ただの甘えなのかも。って思った。

いつでも会える距離にいるから、
甘えてんのかって。

親が死んだり、
自分が死んだ後の親を想像したら、
震えだして、
顔がしょっぱい涙まみれになった。




今日は

たくさん泣いたし、祈った。

防災グッズや備蓄品も揃えた。

逃げる時は何も持たないことが大事ってことも知った。


誰か家族で欠けてしまったこと以外にも、
自分が生存したからこその葛藤があることも知った。


自分だけ助かってしまった人

映像に残せたことを悩み続ける人

テレビ受けのいい「奇跡」って言葉に違和感があった人

記事を見るだけじゃ「奇跡」「良かった話」で終わっちゃってた。

ありがとう、取材に応じてくれて 語ってくれて。


葛藤や悩み、違和感と闘いながら
語ってくれた言葉たちは、

現代では軽く見ちゃう命の重みや尊さ、
人生の難しさ、
人との繋がりの楽しさ、
色んなもの思い出させて教えてくれたよ。


どこでも起こりうる、3月11日は。

死にたい自分に、
生きたい自分がいたこと、
くっきりと、教えてくれた。

家族も自分も大事にしたいと思えたことなかったけど、
してみたい と初めて思えた。

できるかは全くわかんない。したことないから。

でも自分も、前を向いて、歩いていこう。

考えが180度変わった、
そんな一日だった。

発達障害やLGBT、毒親毒家族のことなど、コロナ禍でさらに孤独だったり息苦しい少数民族代表として書き遺して逝きます。