【男性保育士③】リョウ先生が語る、「必要なのは性別よりも〇〇力である」ということ。
連日、リョウ先生が語る男性保育者の生態をテーマとして、記事を投稿してきました。第3回は総括として、男性保育者が保育現場で働くことへの世間と当事者の間にあるイメージのギャップについて書いてみたいと思います。
男性であることを意識していない
私は保育現場で働いていて、“俺は男だぞ“という気持ちを前面に押し出して子どもたちや保護者と関わったことはありません。これは知り合いの男性保育者に関しても同じでした。当事者ほど、全然気にしていないということです。
実際、毎日働いていると、1日の日課を回していくのに、性別の違いが仕事の差に現れてくることはほとんどなく、性別云々よりもまず、子どもたちと楽しく過ごすことに注力するわけです。そこに性別の話が入り込む余地がないわけです。“男性だから遊び方が大雑把。女性だから遊び方が丁寧“は性別で片付ける問題ではなく、その人の性格からくる差でしかないということです。
だから昨年末、大学1年生の考える男性保育者のイメージをまとめた資料を見た時にとても驚いたのです。
“男性保育士ならでは“
“男性保育士だからこそ“
“男性保育士の強み“
という言葉の羅列がそこにはあり、当事者以外から見ると“男性であること“にこんなにも関心を持っているのだと思ったのです。
私という人間力
パート1でも書きましたが、“男性“という存在が与える影響は確かにあると思っています。けれどそれは意図的に伝えようとしているのではなく、そこに存在すれば勝手に発信されてしまうメッセージであり、男性としての強みが活かされるのはそのような部分だと思います。
食卓をイメージするのであれば、トレー。お皿を並べる土台となるものです。
そのトレーの上に置かれる料理がそれぞれの個性であり、置かれるものによって表情を変えると思うのです。
個性は人間力と言ってもいいでしょう。私はその部分で子どもたちや保護者と向き合っているつもりです。
男性という存在が珍しい仕事です
11年間、保育の現場に身を置いていますが、男性保育者が激増したという経験はしたことがありません。今働いている園では5名ほどいますが、全体の割合で考えれば少ないです。前の職場言えば、私1人でした。
そんな環境で辛くないの?とよく言っていただけるのですが、私自身が男性であることを押し出していないこと、そして男性:リョウ先生ではなく、人間:リョウ先生で向き合い、またそれを受け入れてくれる環境に身を置いているので、性別で辛いと思ったことはありません。これは私がたまたま恵まれた環境に身を置けたからかもしれませんが…。
女性が多い職場で、男性という存在が浮いてしまいそうに見えるかもしれませんが、働いている側はそこまで意識しておりません。
けれど、人間性が試されているのは間違いなく、私という個性で勝負できる面白い職業が保育士だと思います。
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