“保育者である自分“を演じる
私はよく“優しい“と言われます。
喧嘩は嫌いだし、人の陰口も嫌。怒るのも無駄なエネルギーを使うので、避けられるのであれば避けたい人間です。
あと、人から嫌われるのも嫌です。
だから、職場では人の顔を窺っている自分がいたこともあるし、誰かの陰口に思わず聞き耳を立てて“自分のことなんじゃないか?“と思ったこともあります。
すると私は、文句を言わないし、人の悪口も言わない、自己犠牲も厭わないタイプの人間になりました。
そんな私が勤続年数を重ねていくと、後輩という存在が出てきます。自分がやられて理不尽だと思った指導についてはやりません。
しかし、“これは少し注意しておいた方がよさそうだぞ“という場面はあるわけで…。
けれど“優しい“と言われている私は、間違いを指摘する際に相手を傷つけてしまわないように振る舞ってしまうんですね。
“心を鬼にしろ“とは思うんですが、なりきれない。
そんな時に園長先生から少し角度を変えたアドバイスをいただけたんです。
役職を演じる
園長先生なら、園長という役職を。
主任なら、主任という役職を。
心がしんどくなるのは、“自分“という肩書きで相手と向き合いすぎているから。
だから、“役職“というバリアを身に纏って、1枚壁を隔てて関わってみる。
あるいは、“保育者である自分“というもう1人の人格を作り上げて関わってみる。
役職も年齢も全て取り払えば、みんな同じ人間。だから傷つくことは当然ある。
「その役職を演じるつもりで働いてみると楽だったりするよ」
なるほどなぁ…と思いました。
私はいずれ人の上に立つ側の人間になりますが、優しさだけでは乗り切れない場面に遭遇した時、この教えを思い出したいと思います。