保育者は“繋ぐ存在“
先週末は久しぶりに帰省していました。年度末and年度初めの準備が始まることを考えると、“ここしかない!“というタイミングでの帰省でした。
これまでは帰省してもゆっくりするのではなく、予定を詰め込んでしまっていたわけですが、今回はほぼ予定を入れずに、ダラーっと過ごすことを選びました。
おそらくここを境に、また忙しい日々が始まると思ったので、ここはちゃんと休んでおこうと決めたのでした。
同じ志の友との夜
土曜日の夜は1年ぶりに、とある男性保育士の先生と飲みに行きました。その方は私よりも年下なのですが、もう副園長をされています。出会ったのが一昨年の夏で、それからは度々会議であったり、飲みに行ったりしてました。
そんな彼は“保育“というものにものすごく熱心で、園長クラスが集まるリーダーズゼミなどにもよく参加しています。副園長を務めるその園でも改革派としての役割を担っています。
帰省の期間の夜を、彼と会うために割くことは全く苦ではありませんでした。それは彼が、私が途方もない理想を話しても笑って頷いてくれる人だから。もちろん私も彼の理想を笑わない。しかも互いに踏み込んだ話ができるもんだから、終電までの時間はあっという間でした。
繋ぐ存在
彼と飲み終わった後に、
「また来年もこうやって1年の頑張りを報告し合おうよ」
と伝えました。けれど、彼はそれに加えて、
「すぐにでも、関西に保育を見に行きますね」と言いました。
今朝、彼からLINEが来てまして、早速見学に行きたい旨を送ってきてくれていました。
私が地元を飛び出したことで、また1人別の人が興味を持ち、遠路はるばる足を運ぼうとしている。そんな彼をうちの園長が気にいらないはずがない。
今、受けているキャリアアップ研修で言っていた、“保育士は繋ぐ存在“という言葉がすごく新鮮で心に残っています。
それは子どもと大人、子どもと地域社会を繋ぐ存在ってことか…ぐらいにしか思ってませんでしたが、こういう“繋ぐ存在“である場面もあると感じたのでした。
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