“可能性のある男”とは? 「スラムダンク」編
可能性のある男とは、どんな男か?
そのあたりについては、様々なご意見がありそうだが、ここでは「スラムダンク」の登場人物を代表的事例として、可能性感じさせる男について、紹介していく。
大笑いできる男(代表的事例:桜木花道)
桜木花道は、いつも大笑いしている。嬉しい時も、悔しい時も、仲間を励ます時も・・・
それはなぜか?
それは、彼が、人一倍、周囲の人間のことを考えているからではないか。自分が楽しみたいだけなら大笑いなどする必要はないのだ。心の中だけでニヤついていればいいのだ。
しかし、自分以外のみんなのことを考えると、それは大笑いになる場合がある。大笑いは、その場の空気を変えてしまえるからだ。
きっと彼は、大笑いすることが苦境から脱出するための最善の方法だということを自然と理解しているのだろう。
「シュガー」の火の玉欣二も言っている。
つまり、大笑いできる男とは、ピンチに強い男ということだ。そんな男には、きっと可能性がある。
ただ、目立ちたいだけ、という本人の性格もあるだろうが、それも含めて可能性がある男といえる。
大笑いしている男がいれば、それは「要チェック!」だ。
大口をたたける男(代表的事例:赤木剛憲)
意外に思われるかもしれないが、「SLAM DUNK」の登場人物の中で、一番の大口たたきは、赤木剛憲だ。
なんせ、夢は「全国制覇」だった。
日本一の選手になることではない。チームとして、全国制覇することが夢であり目標だった。
強豪校でもない高校で、チームメイトに最初から恵まれていたわけでもないのにだ。
それが、どれほど困難で我慢強さを求められることか。
だからこそ彼が、登場人物の中で最も困難なことを口にしていることになる。
これぞ、大口たたき。
しかし、大口たたきの周囲には、磁場のようなものができるのだろう。
そして、言葉には、不思議な力が宿ることを認めるしかないのかもしれない。
大口たたきの元には、”人”が集まってくる。
赤木の場合、「全国制覇」に必要な”人”が集まってきた。
こういう人物が中心にいる組織は強い。
そこにあるのは結束力といった生半可なものではなく、また、モチベーションといった形式ばったものでもない。
いわば【宿命】だ。
大口たたきの元には、宿命づけられた”人”が集まってくる。そして、そこからすべてが始まる。
大口をたたける男は、可能性を広げていく組織には必ず存在する。
もちろん、大口をたたくだけの努力を、たんたんと続けられるだけの気持ちの強さを持ち合わせている必要がある。そして、その継続的な気持ちの強さこそが、こういった男の真の価値なのだ。
人運の良い男(代表事例:三井 寿)
可能性を広げるためには、運が必要だ。
その中でも、人運が最も重要だ。
誰といるか。誰と出会うか。誰を信頼するか。
それは運だ。
そしては、それは苦境にあるタイミングでこそ最も重要だ。
三井寿には、そんな人運があった。
安西先生という恩師に出会えたことで、三井は三井になった。
不良仲間は、不良の三井ではなく、人間としての三井を好きでい続けてくれた。
湘北のメンバーは、本来の三井の居場所を作ってくれた。
なぜ、三井には人運があったのか。
理由は簡単だ。三井に人運を引き付ける特性があったからだ。
それは、「頼る力」だ。つまり、信頼を表に出せることだ。これは実は難しい。小さなプライドと羞恥心が邪魔をする。口だけなら易々とバレてしまう。
三井にあったのは、信頼の表現力の高さだ。三井は、信頼をまっすぐに表現することができた。おそらく、作中、最も純粋な男なのだ。そんな男には、みんなが損得を忘れて手を差し伸べる。なんとか成功して欲しいと望む。そんな男に可能性がないわけがない。
事実、三井は信頼をまっすぐに表現することで、自分の限界をも超えた。(山王戦・後半戦)
「3月のライオン」の林田高志はこう言った
引っ張る男(代表事例:宮城 リョータ)
可能性は、それが発揮されることで結果に結び付く。
しかし、組織(チーム)での可能性となると、なかなか難しい。
なぜなら、個々の可能性とチームの可能性とは、本来は別のものだからだ。
そのため、組織(チーム)の可能性を高めるためには、二つの要素が必要となる。「支える力」と「引っ張る力」だ。
「支える力」とは主に精神面だ。湘北では、赤木が担っていた。精神面で支えるためには、ある種のマインドコントロールが必要だが、赤木は、「全国制覇」という大口をたたき続けることで、その役割を担っていた。
それでは、「引っ張る力」は誰が担っていたか。それが、宮城だ。
おそらく、(他チームと比較した場合などで)相対的な実力・能力では、チームの中で宮城は最弱だ。ただし、チームを引っ張っていたのは宮城だ。
なぜ、宮城にそれができたのか。
強気な性格、リーダー気質、負けず嫌い。
それもある。だが、それは他メンバーにも強くあった。
宮城にしかない特性。それは、観察力の高さだ。
宮城は自分のことだけでなく、チームメイト、敵チーム、会場の雰囲気など、その状況下における全ての事象に対しての観察力が飛び抜けている。(喧嘩でもいち早くリーダーを見つけて、そこを叩こうとするのも観察力の高さの特徴)
だから、「引っ張る」ことができる。
その優れた観察力によって「今、何をすべきか」をわかっている。だから、迷うことなくチームを引っ張ることができる。チーム内の個々の特性を、ある方向に導くことができる。
結果として、チームの可能性を結果に結びつけることができる。
そういった意味では、宮城は作中でも稀有な存在だ。同様の特性を持つのはおそらく、山王の河田(兄)だけだと思われる。
観察力の高さは、才能だ。おそらく、努力だけでは獲得できない。ただし、マイナスの要素を持っている(もしくは持っていた)ことが必要で、そのマイナス面に対してあきらめなかった過程が必要だ。あきらめずに、その瞬間瞬間で、「今、何をなすべきか」に対して、真摯に向き合い続けた時間が必要なのだ。強いココロがないと難しい。
あきらめなかったことで、宮城は、プレー以上の能力でチームの可能性を高めた。河田も「センターからスモールフォワードまでこなす」能力とともに、チームを日本一にまで引っ張っていた。
もう一つ肝心なことがある。宮城の観察力の高さという能力は、既に表出しているものであり、その才能は、身体の特性とは異なり衰退しにくい。つまり、宮城はこれからも「引っ張り」続けることができるのだ。それは、バスケを離れたとしても、社会人になって別の環境に置かれたとしてもだ。そんな男には可能性しかない。
観察力とは、課題抽出・問題解決・現状打破に役立つ能力だが、その根底には、どんな状況でも、どんなマイナス面に対しても、あきらめない、という強い意志がないといけない。
「サマーウォーズ」の小磯健二はこう言った。
努力と無縁の男(代表事例:流川楓)
「はじめの一歩」の鴨川会長は言った。
いくら、流川がバスケットボールの天才だったとしても、努力していなかったわけではないだろう。
いや、もしかすると、湘北のレギュラー5人の中では、彼が一番努力していたのかもしれない。
ただ、彼のプレーには、努力の痕跡があまり見られない。最初からできていたようにプレーする。
おそらく、彼は、周囲の人間に自分の努力を認めてもらおう、などとはまったく思っていなかったはずだ。だからこそ、そのプレーには、努力の痕跡があまり見られないのだろう。努力という行為が、本人にとってはあまりにも当たり前のことで、まったく特別なことではない場合、そういった人物からは努力のニオイがほとんどしないのかもしれない。
「め組の大悟」の甘粕士郎は、そういった人間について、こう言った。
努力と無縁の男でいられる男とは、まったく努力をしていない男か、それとも、努力のニオイを消し去ってしまうほどに、ただひたすらに強い信念で行動している男だ。後者であれば、これほど可能性を秘めている男もいない、ということになる。
「花の慶次」の前田慶次が、自分の強さを説明するとこうなる。
ここまで言える男にとっては、努力をすることなど既に日々の生活の一部であり、特徴づけられることですらないのかもしれない。おそらく、そういった日々を過ごすことで、結果として、努力と無縁の男になっていくのだろう。
努力と無縁の男とは、努力を感じさせない男とも言えるのかもしれない。そうなれば、そんな男には、可能性を感じさせることすら必要ないのかもしれなし。なぜなら、可能性しかないのだから。