可能性がなければ、楽になれない。
時間の過ごし方は人それぞれだ。
働き続ける人、働かない人、家族と過ごす人、恋人と過ごす人、一人で過ごす人、努力する人、怠ける人。
でも、みんな、それが自分にとって、最も楽な選択をしていることにあまり気づいていない。
楽=さぼる。楽=なにもしないで金を稼ぐ。楽=嫌なこと、苦手なことをしない。
そうではない。自分が時間を過ごすうえで、気持ちの部分で最も楽なことを人はする。
「おれはこんなものじゃない!」という想いを克服することで楽になれる人は、なにかしらの努力を続けている。
「普通に勝負しても勝てない!」という想いを克服することで楽になれる人は、なにかしらの突破口を見つけようとし続けている。
「家族との時間を潰されたくない!」という想いを克服することで楽になれる人は、時間を確保するためのなにかしらの理由を作り続けている。
「おれは悪くない」という想いを克服することが辛い人は、「お前は悪い」という場面に立ち会わないように神経をとぎすまし続けている。
それぞれの人が、それぞれの方法で楽に過ごすための自分を作り上げていく過程が、時間を過ごすということだ。
それなのに、「楽しい時間を過ごしている」と思える人は少ない。本来、みんなそうなはずなのに。
理由は、きっとこうだ。
「楽しく時を過ごすためには、たまに、ポジティブな可能性についてこちらからノックしないといけない。なぜなら、ネガティブな可能性はむこうから勝手にやってくるから」
というわけだ。
「人は人」「自分は自分」
もっともだ。
だが、しないといけないことはある。
その一つが、ポジティブな可能性についてこちらからノックすることだ。
たまに、でいい。ずっとしていたら、ただの自己啓発マニアになり周囲の人間に迷惑をかけるかもしれない。
そんなノックができる場所の一つに、ここがなれば嬉しい。