よの7 ひとは何のために生きているのだろうか?
ひとはなんのために生きているのだろうか?
いったい自分は何のために生きているのか?
誰もが一度は考える大問題ではないだろうか?
しかし。
しかしながら。
結局考えても分からないから、いつの間にかみんな考えるのをやめてしまう。
ただ。
よくよく考えてみると、そもそも考えて分かるはずのないことだとわかる。
かりに誰かが答えを教えてくれたとしても、それが正しいかどうかなんて、どうやって判断できるのだろうか?
逆に。
もしかすると、もともと生きてる意味や理由なんてないのかもしれないし。
しかし。
しかしながら。
そもそものそもそも。
なぜ生きているのかもわからないのに、
なぜ、みんな平気な顔して生きていられるのだろうか?
自分がなんで生きてるのかも分からないのに、なんか偉そうなことを言いあいながら生きていられるのだろうか?
結局。
考えても分からないから、考えないようにしているのかもしれない。
奇跡的に分かったとしても、それが正しいかどうかは分からないのだから。
しかし。
しかしながら。
もし分かる方法があるとすればだが、
実のところ、
ただひとつだけ分かる方法がある。
それは。
それは『思い出す』という方法だ。
もともと知っていた、分かっていたことを忘れてしまったのであれば、思い出せば、分かるのだから。
思い出せば、それが正しいと分かるのだ。
その証拠に他人に教えられるとなぜか心が反射的に反発しはしないだろうか。
その証拠に、そもそも、もともと知らないのであれば、そもそも気にならないのではないだろうか。
つまり方法が間違っているのかもしれないのだ。
分かろうとするから分からない。思い出そうとすれば思い出せるのだ。
あれなんだっけ?今大事なこと言おうとしたけれど、ど忘れして、思い出そうとしてもなかなか言葉が出てこない。
思い出せないとき、なんか気になる、もやもやした気持ちが続く。
もしかしたらそんなに大したことではなかったのかもしれないが、思い出せないと何か気持ちが晴れない。
あれ、なんだっけ?
あるとき、何かのきっかけで、それを思い出す。
分かった!
のどのつかえが取れて晴れ晴れした気持ちになる。
そして思い出した答えよりもなぜか思い出したことのほうが妙に嬉しい。
当然のことではあるが、私は両親から生まれて今生きている。
当然のことではあるが、私が生まれる前の両親のことは分からない。
ある意味途中から生まれてきたのだ。
途中から生まれてきて、世の中をなんとなくこんなもんかなと生きているのだ。
それは私の両親も同じこと。
両親の両親の生きてきた時代は分からない。
両親の両親も同じこと。
両親の両親の両親のことは何もわからないのだ。
おそらくではあるが、両親をどんどん遡っていくと、元々人間は自分の生きている意味をはっきりと知っていたのではないだろうか。
それが途中から生まれてきた子孫達がだんだん忘れていったのではないだろうか。
なんだっけな。
なにか大事なことを忘れているような、何か釈然としない気持ちで生きているのかもしれない。
別に気にしなければ気にしないでも生きられるけれど、何かすっきりしない。
いったい何のために自分は生きているんだろう?
しかしながら。
もしかすると、答えはそんなに大したことではないのかもしれない。
もしかすると。
そんなに大したことではないことを
ただ、
ど忘れして思い出せずにもやもやしているだけ・・
なのかもしれない。
なんだっけな。
ここまで出かかってるんだけど・・
*******************
お読み頂きありがとうございます。
もしかして「クスッと」いたしましたら「スキ」を押して頂けますと幸いでございます。kawawano