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人の善意に頼る業
人には善と悪の両方の面があるとはいえ、私たちがネガティブに考えるほどこの世は悪に染まっているわけではない。むしろこの世が悪いことばかりだと思えてしまうのは、善悪の問題ではなく諦めの問題だ。
期待できないこの世にうんざりしている。だから悪いことばかりだと思うのであって、案外「善」はそこかしこにある。
だが、そうは言っても善意は無償なのが当たり前ではないのだ。私たちは悪を目の当たりにしすぎて疲れてしまっているのか、それとも、そもそも善というものをあまりに「善的」に捉えすぎているのか、善意がいつでも誰にでも、どんな時にでも無料配布だと思っているフシがある。
それは怠慢だ。あるいは責任回避すぎる。
だから善を、単に悪の反対にある無条件に良いものだなんて捉えないほうがいい。捉えているのならやめるべきだ。
それはもっとしっかりと誰かの意思あるもので、誰かの労力によって成り立っていて、その誰かには感情も人生も生死もある。
善は、悪と同じ「人」だ。
そこには何の違いもない。なので善悪は同じカテゴリーなのである。そう思わなければ私たちは単に悪を目の敵にして無くなればいいものとして、善を迎合して埋め尽くされればいいものだと思うだけになってしまう。
人には善悪の両面がある。
知っているはずだ。それを持っている人間というものを。自分もまたそうなのであることを。だから、忘れたり、忘れたふりをしてはならない。
そうして無責任に善を捉えて、ましてや頼るなんてもっての外である。
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