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「当たり前」は当たり前に続くべきものではなく

 当たり前のようにあるものや起きていることは当たり前でもなんでもなく、そのようにみせかけるだけの努力がなされているにすぎない。当たり前を手に入れた人はそれをできるだけ長く維持しようとするけれど、その考えそのものが、「今」にとらわれた短絡的な思考だけど、とはいえそれは人間である以上仕方ない。
 有限の存在である人は、結局のところ全体的で長期的な利益など考えられるはずもなく、ただ自らの快楽と成果を高めることに注力するしかないのだ。
 そういう意味で倫理的な人や集団や社会というのは存在せず、すべては自らを盛り立てるために動く自己中心ばかり。だが栄枯盛衰、盛者必衰、どれだけ富や名声を積んだとしても必ず崩れ去る。そのこと分かっているから、やはり人は「今」以上に大切にするものなどないのだろう。

 どうしてそんなことをするのか、なぜもっと考えられなかったのか、という問いは愚問だ。なぜなら私たちは等しく今を生きるのだから。人は小さくくだらなく、そしてどうしようもない存在。正しいことはフィクションの世界にしかない理想。
 この世のあらゆる物事は、利己的に、自己中心的に、露悪的に組み立てられるものばかりである。
 だからこそ、当たり前は続かない。
 互いが互いを食い合うのが世界の法則なのだから、好き放題やったもの同士、恐らく運が良いほうが生き残るだけなのだ。それは時流やトレンドや風潮というのも関わってくる分、予測が難しいわけではない。とはいえ基本的には運でしかない。
 そうやって歴史はうねり、続いていく。昔はこうだったねと、そんなことばかりである。「今」に合わないのならば淘汰されるのみ。誰にでも当たり前になれるチャンスはあるが、いつまでもではない。
 むしろ同じような当たり前がずっと続いてしまう時こそ、その不自然さに、私たちは気づかなければならない。

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