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伝える言葉の短さには「長さ」が必要

 短くとも伝わる。むしろ、短い方が伝わりやすい。コミュニケーションや表現、言葉、指示。その他様々な、人間の扱う「伝える」ということ。それらは短くなければならない。なぜならそうでなければ、それはすべて伝えられないからだ、と説明される。とても納得できる。短くなければ届かない。長ければ途中で切れてしまう。全てが入ってくるまでに、それは時間がかかってしまう。
 現代が忙しないということを抜きにしても、だれも、ぐだぐだと長い説明は好まない。だから短さがいい。短ければかみ砕ける。意味がわかる。理解できる。

 でも、短さだけがそれを実現しているのではない。短さの前提には、「長さ」が必要だ。届ける時は短くてもいい。でも、その短いものは、初めから短いのではない。「たったこれだけ」を、そのまま提供するのは良い伝達ではない。良いコミュニケーションではない。良い指示ではない。その「短い」の中には「長い」がなければ。長い説明、長い内容、長い言葉、長い想い。
 長くなければ、伝わるものは薄く薄くなってしまう。それこそ、意味のないくらいに。伝える必要がないくらいに、それはなんの影響もなくなってしまう。だから、その「短い言葉」には、本当は長いのが理想だ。でも、短くしなければならない。そう思わねば、そうしなければ、そういう加工をすることが、大事なのだ。

 短い説明、言葉、伝達は理想だ。それができることはいい。でも、その中身はしっかりと。あなたの想いは「長く」なければ。それをどのように短くするのか。そうすれば伝えられるのか。そういう伝えるを工夫することに、意味があるのである。
 だから短いことは、ただの結果でしかない。

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