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私達はルールに縛らさせている
ルールとは私達の生活を簡便にするものである。そしてルールはそのためにしか存在せず、その他の効果は期待してはならない。
ルールを作ると私達は安心化を覚え、まるでそれが正しくないものを浄化する光のごとく、自分たちを取り巻く闇を払ってくれるものだと思い込む。ルールは穢されてはならぬ聖域であり、それにあだなす者は悪であり、それを守る者が善である。
一度でもそのような認識を持つと、ルールは本当に変えがたいものとなる。ルールはなんの意志も持たないが、私達自身がルールを固着化し、強力な存在として扱う。
そのようになった時、ルールはそれそのものが存在し続けることを目指すようになる。そしてルールがあることを私達は目的化し、ルールに縛られることを生存の理由としてしまう。
ルールは私達の存在のあり方を変えてしまう潜在性を持っていて、そして私達はそれに応えるだけの間違った欲望を抱いてしまう。自ら作ったはずのルールに、あまつさえ、誰かが作ったルールという名の何かにすら、私達は頭を垂れてやまないのだ。
本当にルールというものが効果を及ぼすのは、私達の生活を簡便にすることだけのはずだったのに。私達はルールそのものをなくてはならない第一のものだと勘違いする。
ルールにとってなくてはならないのは、私達の簡便さだけであるのに。それ以外の効力をルールに求めたり、付与したりすることはまさに自ら、ルールに支配されたいと願っているのと変わらない。
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