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偉い人ほど余計なことを言う

 私達はなぜ、自重が難しいのか。特に何かの責任があって公共に露出する人々ほど、余計な言動、言わなくてもいい言葉、常識的に考えられないようなことによってがっかりされてしまう。
 それは、私達の自我は、与えられる権力とともに肥大化していくからに他ならない。権力が大きく、立場が上になればなるほど、私達に許される範囲が大きくなる。つまり自分の好きなことができるのだ。その経験を繰り返すうちに、自我はどんどんと肥大化していく。

 一方で社会とは、最小化した自我の集まりである。そして社会的な目や社会的な常識というのは、最小化した自我を基準とする。なぜなら社会は、できるだけ多くの人の利益のために作られたものだからだ。それは特定の個人ではなく、あらゆる人の基準や考えや価値観をすくい取ろうとする。だからそれは、肥大化した自我を許容しない。

 これら2つ、権威的な自我と公共的な自我は相反する。それぞれが、それぞれの意見をぶつけ合う時、絶対に折り合わないようになっている。いわば誰もが自我を我慢して、公共の一員となっているからだ
 しかし肥大化した自我は、そのルールに与しない。公共の価値観よりも魅力的な権力を持っているためだ。もちろん公共的な価値観については知っている。知っているけれども、従いたいと思うほど魅力を感じていない。
 そうなった時、その肥大化した自我は、自分自身を自重することが難しくなる。切り替えに失敗する。自分のいる場所が公共にもかかわらず(昨今は特に、私達はいつも公共にいる)、自らの自我を優先してしまう。するとそれは、余計な言動、言わなくてもいい言葉、常識的に考えられないようなことに繋がっていく。
 有名だったり露出が多かったり、重要な意思決定をしなければならない人ほど、そのリスクは大きい。そこには当然、権力があるからだ。これによって肥大化しない自我はない
 だからこれを避けるためには、権力者は相当な自己分析と客観視と、冷静さをもって自我を律する他ない。

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