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「大人になれ」を子どもの言い訳にするな

 大人になれと言うのは、本当に大人になってほしい時だろうか?あるいは大人になれと言われる時、その人は子供なのだろうか?この魔法の言葉は他人を戒める時に使われがちだが、その実、言い表される「大人」が本当の意味で大人であることは少ない。

 往々にしてあるのは、「言う事を聞け」と言いたい時に使われることである。大人は聞き分けが良いもので、大人は文句を言わず、大人は感情よりも理性を尊ぶ。そういった「常識」がここにはあって、だからこそ、そういう大人になって言うことを聞いてくれ、と説得していることになる。
 でも、すでに気づいているかもしれないが、本当の大人とはそうではない。
 つまり、自分のやりたいようにやるし、文句を言うし、感情的だ。別に子供と大人で変わるところはない。大人になったからといって、それはもはや年齢だけの話にしか過ぎない。少なくとも現代での風潮では。

 だから、もう、「大人になれ」などというのは意味がない。というより、それを言う「大人」が、もはや怪しいものなのだ。この言葉は誰かを従えるために使われるわけだが、そのためには立場や態度が「大人になって」いなければ成立しない。
 でも、そんな人はいないのだから、それは都合の良いただの言葉に成り下がった。あるいは言い訳だ。自らが大人として相応しくないのだから、この言葉は、それを棚に上げ、他者を子供と断じるために使われるのみなのだ。

 大人になれ、は魔法の言葉である。ふわふわとして、曖昧で、だからこそ使いやすい。口に出やすい魔法の言葉。
 少なくとも私達は、これを単に魔法として使ってはいけない。それは意思を持って、なんとなくではなく、誰かを見下すためでもなく、もちろん、自分を持ち上げるためでもなく。1人の「大人」として使う覚悟と責任を持つべきである。

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