登場人物に「死にがい」を用意する 後編:「意味」
たとえ創作の中であっても、登場人物が死ぬという事実は私達にとってショッキングである。この死というイベントはできることなら避けたいものになるが、その感情は絶対的なものではなく、そこに納得感があるならば受け入れることも可能だ。
なぜなら、私達はあくまでもそれが、創作上の死だと分かっているからだ。自分自身や、その身の回りにある現実のものでないならば、それは理性的に受け入れることが可能であるし、むしろそういった死は。創作にスパイスと面白さと興味深さをもたらしてくれる。
こういった、登場人物の死を意味のないものにしない、むしろ「死にがい」のあるものにするためには、
・死ぬべき外的な理由
・死ぬべき内的な理由
・死んだ外的な意味
・死んだ内的な意味
これら4つがその創作の中には必要となる。
死んだ「意味」とは、その人物が死んだことによる納得のできる影響のことであり、即ち外的なものだ。そしてその人物自身が死についてどのように捉えていたのかという内的なものもある。
外的なものは、死に祭する手続き、世間の動向、他の人物の感情の変化、などを指す。例えば、
ある登場人物が外で頭を打って死んだというのなら、例えばその道路には血の跡が残り、それを発見したゴミ出しの主婦が警察と病院にかかり、近隣住民は騒ぐ。死んだ人物の知り合い達は戦々恐々とする。犯人について心当たりがあるというようなことを言う者すらいた。
……というのが最低限の外的意味となるだろう。
また内的なものは、死んだ登場人物の感情であったり心理の中でも、とりわけ死に関すること、あるいは自身の生にどれほど執着していたのかということ。そして死の間際にどのようなことを思ったのかという、瞬間的な記憶のことなどを指す。前述の例で言えば、
死んだ登場人物は自分勝手でわがままな性分であったが、内心は臆病な性格の持ち主であり、過去に行ったイジメのことを気にしており、自身が死の淵に追いやられる夢を度々見ていたほどだった。死の前日は同窓会であり、イジメの対象とも再開していたが、その恨みの視線に耐えられずに酒を煽った。この登場人物はある種、死を覚悟していた。
それが償いになるとか、禊だとかそのような心理ではなく、単にこの辛い感情から逃れたいという漠然とした、それでいて自分勝手な願いだった。
その登場人物は死の瞬間、誰かに背中を押され、このままでは頭を強く打つだろうと悟ったものの、手を前に出して自分を支えようとは思わなかった。
このようなところになる。
死んだ意味には外的なものと内的なものが設定されるが、それは「理由」と同じく、死の瞬間に全て揃うとは限らない。むしろ理由と異なり、死んだ意味とは、その死からじわじわと広がっていくものなのである。物語が進むにつれて(犯人が絞られるとか、詳しい子の状況がわかってくるなど)、意味は更新されるのではなく、新たに解釈し直されていく。
外的にはその「死」という事実の影響が広がっていき、いずれは収束する。しかし「死んだ意味」の本質は内的なものだ。放たしてその登場人物の死に、どれほどの意味があったのか。犯人の溜飲は降りたが、それは正しかったのか? その登場人物の死は、新たな悲劇を生み出していないか? 本当にその登場人物は「死」という悲劇を受けるに足る人物だったのか、そしてそのような形でその人物の人生の幕を下ろすことに意味はあったのか。
死んだ意味とは、とても複雑であり、解釈し直され、繰り返されていくものである。それは単に具体的な(外的な)影響というよりもむしろ、死というものそのものに対する意味の、抽象的な(内的な)問い直しを含む。
その内省的な取り組みは、死という理不尽で、許容できず、悲しく、できれば回避したいものを可能な限り飲み込みやすくするための、創作上必要な、「死にがい」の1つであると言える。
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