声を決めなければ、キャラクターは決まらない
「どのような声か?」
それはキャラクターにとって、「どんな見た目か?」というのと同じくらい重要で、クリティカルで、そのキャラクターをそうたらしめるほどに中心的な問なのである。
声とは肉体であるため、たとえ創作上のキャラクターであってもその制約から逃れることはできない。つまり一見したところ、声と肉体とは同じものではないように思えるが、そうではないのである。
どういうことかといえば、まず創作というのは誰かの頭の中に世界が作られるものであり、語りやすい(見せやすい)ものとそうでないものがある。
そして常に現れ続けるもの(肉体など)は語りやすく、イメージしやすい。一方で現れては消えていくもの(声など)はそうではない。この前提があるために、一般的に声と肉体はイメージ的に同一ではない。
けれども、声とは肉体(声帯)によって生成されるものであると同時に、肉体の形(体型)もまた、声に影響を与える。即ち、キャラクターの見た目的な「現状」は、まさにその発声とマッチしていなければならないのだ。たとえば、太っていると声を響かせやすいと言われるために、そういうキャラクターは響く声を持っていなければならない。病気がちのキャラクターは痩身であり、発声もそれに見合っていなければならない。
キャラクターとはまず、第一に見た目が特徴的なものだから、その中心は身体性にある。「太ってるってこういうキャラだよね」とか「髭生えてるってこういう人だよね」のような、外見的イメージが、その他の属性を決めてしまうことがある。
ただ、その身体性とは、声も含まれるということなのだ。つまり「か細い声の人って、こういう性格だよね」とか、「野太い声なら、見た目はこうじゃない?」というような、キャラクターそのものの出発点となり得るのが、声のイメージなのである。
だからそういう意味でも、声と肉体は同一の出発点を持つ。そしてキャラクターという創作的な存在において、影響力が大きい。
「どのような声か?」という問いの重要さはそこにある。それは身体性なので、キャラクターという「見た目」が中心となる存在にとって、イメージをきちんと固めるための要素になるのだ。
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