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病は人から。そして人生も人から
病理は人と交流することで生ずる。
即ち、人は人によって「気に病む」のであり、また反対に人によって「気持ちを取り戻す」ことができるということだ。これは、個人では到底難しい作用であって、1人でいるだけではただその時の精神状態を「維持する」だけでしかない。
それは進歩がないということであり、アップデートされないということであり、気づきも改善もなく、ただ「そのまま」でいることを指す。それは人間の生き方としては失敗である。なぜなら人間は、多くの異なる環境に適応すべく進化してきた生き物だからだ。その為に理性というものを手に入れ、物事を自らのために変えようとする気概を得た。
そのままでいることは、その人間としてのせっかくの能力を放棄することに等しい。
だから私達は、そのままでいないために人と交わるのであり、そうせざるを得ず、そうしろと強制すらされ、そしてそうしない者は非常識とすら言われる。
それは確かに人としてあるために必要だが、同時に苦しいことでもある。アップデートされるかわりに、その刺激は私達の身を引き裂くことだってあるからだ。そのせいで心を壊し、立ち直れなくなってしまうことも珍しくはない。そしてそのことは、自ら立ち直らねばならない自己責任として、重い枷を強いられる。
にもかかわらず、私達は交流を捨てることができない。したいとかしたくないとかにかかわらず、それをせざるを得ない。どんな些細なものでも。どんな形でも。
だから人間なのである。もしくは人間であり続けるにはそれがいるのだ。
病理は人によって引き起こされるが、同時にそれを快復させられるのも人なのである。そして忘れてはならないのは、私達自身も「人」だということだ。
だからこそ避けては通れない。人生の不可欠な要素の1つとして「人」がある。
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