パロディ(改変)とバズり(流布)の時代
パロディ(改変)は流行る。というより、何かを流行らせようとする時、パロディはとんでもなく有効だ。
なぜなら、それはまず、手軽だからだ。0から何かを生み出す必要がなく、釣り師のように、糸を垂らして流行りを待ち、適切なタイミングで釣り上げてしまえばいい(そこに技術が必要だが)。
そして費用対効果もまた大きい。往々にしてパロディは宣伝の必要がない。既にそれは、一定の流行りを有しているからだ。労せずしてパロディは伝播していき、「知っている人々に知られていく」状態となる。有名な魚が釣れる釣り堀だから、人が集まって来るのが早いようなものだ。
また、何より、これは最も大事なことだが、パロディは「楽しい」。むしろこの部分が最も大きな特徴だろう。楽しくなければ誰もやらない。著作権や肖像権などの侵害、誹謗中傷のリスクもある中で、楽しくなければパロディなどやらないだろう。
今、パロディはアツい。
沢山の人が情報に触れられるようになって、常にそれが更新されて、そして消えていく今、パロディは全盛期と言ってもいい。
なにせ熱しやすく冷めやすいのだ。人の集まりが、ある場所に集中している内にことを済ませる必要がある。目立つために、多くの人々に熱狂してもらわなければならない。そのためには、既にある「流行り」を利用するのがかしこい。だからパロディは加熱する。コストもあまりかからないし。時間もいらない。ノウハウがあれば、もっとそれは早くできる。
もちろん、パロディにリスクがないとは言わない。権利侵害はその最たる例だ。いくらパロディといえども、というよりそうだからこそ、「元ネタ」への配慮は欠かせないものがある。その分を差し引いて、パロディの効果は考えられなければならない。
とはいえ、そういう注意点はあるものの、なんにせよパロディは手軽で、効果的である。この、情報化の時代、それはあっという間に広まっていく。本当に、驚くほど。
だから流行るのだ。「パロディ」という文化そのものが。それは何かの真似事なのに、何物にもない価値を生み出す。そうすることが楽しい。そんな不思議な魅力を、パロディは持っている。
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