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私達が住んでいるのは「国」なのか。その疑問は

 私達は住んでいる。どこか場所に。家と呼ばれる場所に、あるいは市区町村、あるいは都道府県、そしてそれらは国である。
 国とは何かというのは置いておくにしても、私達は紛れもなくそこに住んでいる。そういうふうに定められている。けれど私達は驚くほどに、その国というものを意識しない。というより、意識している人は少ない。別にそれを意識することに、必要性を感じていない。

 本当に、私達の住んでいる場所は国なのだろうか。そう思うほどに、それは希薄な感じがする。でもそれはある。そして誰かの手によって維持されている。自分ではない。私達のこの生活は大部分が他者によって成り立っている。
 実はそれは、けっこう危うい状態である。私達は誰か知らない存在に生かされているも同然だからだ。国を意識しないとは、そうする必要がないと思うことは、つまり他人任せの生活を送っているということだからだ。
 もちろん、全てを自分の責任にしている人はほとんどいない。完全な自給自足なども、達成できない。それでも私達は、この生を、せめて自分の生活をできるだけコントロールして然るべきなのだ。そしてそれは私達のアイデンティティ、つまり「自分」を強いものとする。

 でも、私達の住むこの場所は「国」なのだろうか?それに疑問を覚える限り、そこにはずっと浮ついたアイデンティティしか生じない。いつも他者を気にし、自身だけで完成させた自己というのはない。

 私達は国を考えることをやめてはいけない。それは住む場所を、日常を、人生を自分のものにしないことと同じだからだ。もし、それが自動的に与えられるものではなく自ら形作っていくものだと思うのなら、私達は国という単位を、もっとよく見て、もっとよく考えて、希薄なものにしない必要がある。

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