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無駄だらけなストーリーこそ面白い

 効率的なストーリーが面白くないのは、それは無駄を楽しむものだからである。

 あるいはストーリーとは余韻を楽しむもので、どのように余韻を感じられるかということが、面白さの要である。
 そもそもストーリーとは娯楽なので、生活必需品ではない。しかし人は物事をストーリーで理解することが当たり前になっており、それを目の前にするのが好きなのだ。生きるのに必要ないが、あると嬉しい。即ちそれを楽しむということは、そこに余裕があるのであり、無駄を受け入れる態勢が整っているということでもある。

 そのようなところに、効率など求められているはずがない。効率とは無駄をなくし、生きる時間をできるだけ削らないように効果を出すことだ。いわば生きるための方策。余裕がない時のための心強い味方。そんな「効率」は明らかに、無駄を楽しもうとする態度とは噛み合っていない。
 それよりも人は、余裕のある中で無駄をわざわざ目の前にして楽しみたいのだ。誰かが作り出した無駄。自分とは関係のないはずの人々が繰り広げる事件と事故と、解決と結末。それはわざわざ見に行かなければ始まらないし、見続けなければ終わらない。
 この時代は、無駄を省き、効率化し、コストを下げパフォーマンスを上げることが当然だが、ストーリー(もちろん、他の娯楽全般も)はそうあってはならない。

 なのにこの世には面白くないストーリーが蔓延している。
 それはどれも、効率的だからだ。視聴者はそれを目の前にした時にまず、無駄がないことにうんざりしてしまう。しかしそうなってはもう、無駄は作れない。無駄は悪だから。なくすべきものだから。
 そうして面白くないストーリーは量産される。
 効率化の時代にそれは、残念ながら必然になってしまっている。

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