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あなたは今、何を神聖視するのか①ー現代こそ花開く聖なる価値
人にとっての聖なる価値とは何か。
単なる価値ではない。聖なる価値。心が浄化されるような精神的な大いなる価値と言えるもの。目に見えないし言い表せもしないのに、深い感情を秘める「ある基準」だ。それは無視できないし、蔑ろにできないものと言えなければならない。
たとえば、ここに木彫りの偶像に祈る人々がいる。その時、それはただの木片だと言ってしまうのはどう考えても無粋だ。客観的に見て正しくないかもしれない。利益もないかもしれない。でもその人々にとって聖なる価値があるのだ。
そういうものがこの世にはたくさん存在する。そして誰しもがこの聖なる価値を持って、物事を判断することがある。他人に決められた外側の価値ではなく、自らのみが理解できる神聖な価値。
その代表的なものは神であり、古来より人々はどこでも誰でも神を信奉した。それを偉大とする聖なる価値判断は、今は昔ほど絶対ではない。だが神ではない何かを、私達は神聖視することがある。つまり、聖なる価値とは神以外にも感じられるものなのだ。裏を返せば私達は、神に匹敵する何かをそれぞれの基準で見出すことができるということである。
現代ですら、現代だからこそ。
神聖視は特別なことではない。人である以上当たり前の情動で、それはある種、現代の象徴でもある。なぜなら人にとっての聖なる価値とは「その人だけのもの」だからで、個人主義の極まった現代にこそ相応しいからだ。
そしてその先に私達は、聖ならぬものとしての「不浄」を見る。
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