率先するためには追従できるようになろう
よく思われているのは、率先して何かをやるというのはハードルが高く、誰かに追従するのはそうではないということだ。自らが最初に手を挙げることは、人によってはとても気が重く大変な行動になる。もちろんできる人もいるが、それは多くはない。一方で、では、そういう率先した人に後からついていくこと、同調したり、協力したりということは、難しくないことだと誰もが考えていることだろう。
しかし、そうではない。
誰かに追従することもまた、ハードルの高い行動なのだ。なぜならそれは、結局のところ率先するのと同じだからだ。少なくとも、1番目と2番目に違いはない。2番目と3番目にも。3番目と4番目。5,6,7…。
最初に何かをすることと、それを見て、「すぐに」ついていくことは結局、同じなのである。その「すぐ」は人によって違う。結局、どこからが「率先」でどこからかそうではないかという線引きは人それでしかない。
だから人は、もっとずっとずっと後、「率先」が「常識」になってから行動を起こすのが、最も気後れしないし、物怖じしないのである。それが大多数の心理ということだ。
そのため、追従することもまた、それが「すぐに」と言える段階であれば、ハードルの高い行動となる。そして常識となるまで待つというのはあまりに気の長い話で、そこまでいくと誰も「追従」などとは考えない。なぜなら、そこまで待っては、完全に「率先」した人についていくという意識ではなくなるからだ。むしろその常識内での新たなる率先があるのかもしれない。いつまでも、気後れは続く。追従などできない。
率先して何かをやるというのは、いかにも行動力の必要なことでハードルが高いが、それについていくということも、同じくらい簡単ではない。それは気軽にできるものではない。しかし、だからこそ、率先した者にできるだけ早くついていくということがもしできるようになれば、その先の「率先」も可能になっていくはずだ。
その行動のハードルというのは、1つずつ乗り越えていくことで、より先へと進むことができる。
だからこそ、率先の前にまず、追従を虎視眈々と狙うのである。
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