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自分のために、自分教には入らずに
人は必ず何かしらに染まっているが、そのことに自覚がないか、もしくは信じていない。そしてなお、人は自分を自立した存在だと思っているが、それが幻であることを否定する。
何かを決める時、動き出す時、そしてその理由、方法、内容に至るまで、他者の影響を免れられないどころか、自分の意志ではなく他人の意志に従っているにもかかわらず。
つまり人は自分を自分だけで完結していると思っている。それは傲慢でも驕りでもなく、本当にただの無自覚であり、普通の感覚だ。だからこそ、それは問題なのであるが。
他人に頼って行きていることを肯定する必要はないものの、少なくとも孤高をきどることは致命的な決定をすることに繫がる。なぜなら個人の判断力などたかが知れていて、その上他人の影響を免れられないとなれば、本当にそれが自分のためなのかということも、結局は分かっていないからだ。
なので大切なのは、そういう自分をまずは信じないことだ。そして人の考えや、人そのものの構成要素に、「他人」は絶対に入ってくるものだと思い、そのことに正直になり、自分の今の考えが自分だけのものでないことを自覚することである。
その上で自らの意志をはっきりさせることに、神経を使ってみる。人は必ず何かに染まっているのだから、自分自身ですら、自分のためだけの決定や行動など、できる保証はどこにもない。
そういう、他人に染まった自分教に、入るのは避けたい。
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