失敗したなと思ったら、ちゃんと見よう。
人が失敗から学ぶことができないのは、まず、人は自分の過ちに気付けないことから明らかだ。そしてそれだけではない。もし自分の過ちに気づいたとしても、人は普通、それを認めたがらない。見えていても見えないふりをするのが常だ。そしてまだある。最後に、仮にもし、過ちを認めたとしても、それをどうやって改善するのかをうまく考え出すのが難しい。そう簡単に挽回などできないし、作戦は思いつかないのだ。
だから、「気付けない」「見えない」「思いつかない」。これら3つの壁によって、人は失敗の沼にはまる。生きていて失敗しないことなどないのだから、それは次から次へとやってくる。この3つの壁がどんどん迫ってくる。あたふたしている間に、またさらなる壁がやってくる。
どうすればいいのだろうか。それは簡単ではない。乗り越えねばならない壁があることは事実で、それを消してしまう魔法はない。ならば少なくとも、気付くべきだ。自分の失敗を。正しく、正確に、瞬時に。そして見なければならない。怖くとも、恐ろしくとも、面倒でも、恥ずかしくても。
そうすることでやっと、作戦を立てることが始まる。ここからが本当のスタートだ。失敗を、過ちを挽回するためのスタートライン。そこに立てる。
人が失敗から学ぶことができないのは、気付かず、見ようとしないからである。考えることは難しいけれど、やればできる。だから同じように、気付き、見ようとすることだ。絶え間なくやってくる自らの過ちを、きちんと、まっすぐに、繰り返し、飽きることなく。
※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?