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繰り返す要求と、確実に問うこと

 必要なことは繰り返すのが大事である。それが「いる」のなら、「ほしい」のなら、「もらい」たいのなら、それは繰り返し呼び出されねばならない。記憶に残るために。
 だが、それだけでは不十分だ。呼び出しだけでは完全なる必要を獲得できない。なぜなら、そのようにして必要さが確かめられたとしても、1回きりのものでしかないからだ。その「必要」を消費してしまったら、また再び繰り返さねばならない。いずれその回数は少なくなっていくだろうが、とはいえいつもそれをするのは中々に遠回りである。
 だから、繰り返すだけでは不十分なのである。
 ではどうするのが良いのか。
 繰り返す以外に、必要なことを確かにするためには。

 問うのだ。
 必要なことは、問うといい。どのような問いでも構わない。その必要なものに関するなんらかの問いを立てる。どうして、なぜ、いつ、どんな、どのように、誰が、誰の……問いである。つまり人は物事を、「それだけ」では不要なものだと思ってしまうのだ。何かと繋がっていない単独のものは、1つぽつんとあるだけなのだから大した価値はないのだろうと。それよりも色々なものと繋がって、色々なことが分かっていることが価値がある。
 それが人には刻み込まれているから、物事に関して情報が増えるほどに、確かな定着が見込めるのである。

 なので私たちは問わねばならない。
 必要なものはもちろん、繰り返すだろう。でもそればかりでなく、問うことを忘れてはならない。繰り返して、問うて、繰り返して……この2つによって、人は本当に「必要」を理解する。理解し、それをいつも確実に、手に入れられるのである。

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