恋愛と、青春と、旅と。そんなストーリーの面白さ
ストーリーが描かれる際、1つの価値となるものに「感傷性」がある。それは傷心的な出来事や、繊細なキャラクター達や、透明だが悲壮感のある世界といったものが形作るストーリーの雰囲気である。
感傷的な傷口をストーリーに盛り込むことは、恋愛や青春や旅といった基本テーマと接続される。むしろ、それらのテーマは感傷的な要素を多分に含むからこそ、テーマとして成り立つとさえ言えるだろう。このような価値観が喜ばれるのは、誰にとっても感傷性というものが心に刺さる事象だからである。
心の傷のない人間はいない。そして青春時代を過ごさない人間というのもごく少数である。その多感な時期の不安定さと、様々な感情がないまぜになっている幼さや迷いは、どのような人間にとっても共感できるものだ。
そのような「現実」が、拡張される形で、つまりテーマとして大げさに語られることとの相性はとても良い。そもそもストーリーとは、何かをデフォルメし、誇張して伝えるための1つの手段だ。だから、この感傷性というものは過大に表現されることになる。
そして私達は、そうした恋愛とか青春とか多感な心の状態とかを、共感したいし、共感されたいのだ。なぜなら、それは不安定であり、迷いがあるものだからだ。そのような安定していないものを肯定してもらえる、肯定するということを、誇張されたストーリーはやりやすくしてくれる。
大げさに語られることで、「そうそう、そうなんだよ」と強く感じられる。自分のことをちゃんと語ってくれているように感じる。それは、まさに現在、私達が抱えている感傷性にも寄り添ってくれるような、心地よい体験である。
だから、感傷性はストーリーと相性が良い。それは大きな価値を持っている。傷心的な出来事や、繊細なキャラクター達や、透明だが悲壮感のある世界。それらはストーリーとして、たしかに現実的ではなく、虚構的な意味で過大である。だが、それが私達を安心させてくれる。
あいまいな、どっちつかずの表現ではなく、ストーリーではその感傷性はきっぱりとした問題として扱われることになる。それこそが、感傷性を抱えているという状態に対して優しく共感するという行為に繋がるのだ。だから、感傷性は、ストーリーとして語られることに意味のある題材の1つである。
その価値を私達は直感で分かっているからこそ、ストーリーというものに期待される1つに感傷性が選ばれている。
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